ドキュメンタリー映画 『ひめゆり』
 

なぜ9月7日?沖縄戦が正式に終わった日とは。
                              
沖縄戦が正式に終わったのは1945年9月7日だったことを知っていますか?
いわゆる「玉音放送」のあった“終戦の日”8月15日が過ぎても戦い続ける兵隊がいました。総司令官は6月に早々に自決しましたが、「降伏するな、死ぬまで戦いつづけろ」との軍命を残し、部隊はその後も交戦を続け、ひめゆり学徒の生存者の中にも8月下旬まで地下壕を転々とした生徒もいます。
久米島では8月に入っても、スパイ容疑で日本軍による住民の惨殺が行われていました。
公開から毎年6月に上映を続けてきた映画『ひめゆり』。今年は、南西諸島の日本軍が全面降伏文書に調印した9月7日に合わせて上映します。             
監督 柴田 昌平

公開から14年連続上映
コロナ禍の今年も上映を続けるポレポレ東中野
組織的な戦闘が終わった日として6月23日を「沖縄・慰霊の日」と定め、全国で沖縄だけ学校や役所も休みになり慰霊祭が行われます。沖縄戦のことを知って欲しいという思いから、2007年の公開以来、ポレポレ東中野と共に毎年6月に上映を続けてきましたが、今年はコロナの影響もあり上映が出来ませんでした。
戦後75年、沖縄でもほとんど知られていない9月7日。
この日に合わせて上映することで、沖縄戦の体験者の声を聞くきっかけになればと思っています。戦争を知らない世代の私たちが、戦争体験をつないでいく。そうした思いのひとつとして、この映画はあります。
プロデューサー 大兼久 由美(沖縄出身) 


あの戦争から、基地のある今の沖縄が続いている。
私たちは、これからを生きる世代に何を伝えることができるだろう。
      (c)プロダクション・エイシア
2006年/日本/ドキュメンタリー/130分

公式サイト

<受賞歴>
文化庁映画賞<文化記録映画部門>大賞
キネマ旬報ベスト・テン<文化映画>第1位
日本映画ペンクラブ<文化映画部門>ベスト1
<日本ジャーナリスト会議>JCJ特別賞
高崎映画祭特別賞
全国映連賞 監督賞
日本映画復興賞 奨励賞
SIGNIS JAPAN カトリック映画賞



<出演>
ひめゆり学徒の生存者 22名
<スタッフ>
監督 : 柴田昌平

撮影 : 澤幡正範、一之瀬正史、川崎哲也、川口慎一郎

プロデューサー : 小泉修吉、大兼久由美

製作・配給 : プロダクション・エイシア

<ストーリー>

13年の時をかけ
生存者22人の言葉を丹念に紡いだドキュメンタリー

1945年、太平洋戦争末期に、沖縄では日本軍と米軍による住民を巻き込んだ地上戦が展開されました。
15歳から19歳の女学生222名が急きょ看護要員として動員されます。のちに「ひめゆり学徒隊」と呼ばれるようになった少女たちです。テニス部やバレー部で汗を流し、歌い、学園生活を送っていた少女たちの生活が一変します。
赤十字の旗が立つ安全地帯へ配属されるものと思っていましたが、そこは砲弾の飛び交う戦場でした。病院とは名ばかりの暗い壕の中で、負傷した日本兵の看護をはじめ手術の手伝い、死体処理まで命じられます。
約三か月の間に123名が戦死。生きのびた生徒たちの多くは、戦後長く沈黙を保っていました。
ひめゆり学徒の生存者22名が、戦場の体験と亡き友への想いを自らの言葉で綴る初の長編ドキュメンタリーです。
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