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<コメント>
見て考えて嬉しい映画です。
人の智慧、業、汗こそが、大切な暮らしの資源です。
職人の仕事こそが、豊かな暮らしを映す鏡です。
そんな思いが、いまぼくらの心に、切実に蘇りつつありませんか?
青原さんのこの映画は、誠実に、真っ直ぐに、そういうぼくらの願いに応えてくれます。
失われた大切な日本の何かを、さあ、ぼくらよ、どうしよう!
大林宣彦(映画作家)
私たちのくらす日本列島。その独自の風土から生まれた伝統的民家のカヤ葺き屋根。
芸州(広島)は、その屋根葺き職人の輩出地である。
芸州職人の技術とはどんなものか、その手が、体が、覚え伝えてきたものは何か。
職人たちの足跡をたずねるこの映画の旅は、また汲めども尽きぬ芸州人風土記でもある。
姫田忠義(民族文化映像研究所
所長)
建築関係が全く疎い僕でも「分かる」かやぶき。出てくるじいちゃんたちが語る情報以上の「魅力」。
過剰な「訴える」感のない、極めてナチュラルな人たちだから、ラストのオチにも「ははっ」とほっこり笑える。
松江哲明(ドキュメンタリー監督)
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〈撮影地〉
広島県:東広島市、熊野町、可部、安芸太田町、北広島町、神石高原町、三次市、東城町、大芝島
山口県:山口市各地、萩市、柳井市
福岡県:田川市
京都府:南丹市美山町、京都市西京区
滋賀県:高島市マキノ町、高島市今津町 |
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<物語>
自然の草木だけを使い、人類が太古から暮らしてきた住まい、茅葺き民家。茅(カヤ)とは、ススキ、チガヤ、イネ、ムギなどイネ科植物、草屋根材料の総称を言う。
広島県東広島市の西中国茅葺き保存研究会・上田進さんが、広島県の山間地から瀬戸内海まで幅広い領域の茅葺き民家を案内する。
安芸高田市の茅葺き民家に暮らす100歳を越えるのおばあさんは、集落すべて茅葺きだった時代を懐かしみ、庄原市の小さな集落・鍛冶屋床の老夫婦は、夏は涼しく冬は暖かいと茅葺き民家の良さを語る。東広島市の大芝島のおばあさんは、船で茅屋根材料を運んだことをなつかしそうに語る。茅葺き民家は、どこか郷愁すら感じさせる。
かつては広島市内の都市周辺ですら軒をつらね、各集落には、茅葺き職人が多数いて、村人共同で屋根を守ってきた。また、明治時代後期から昭和30年代までに、広島の茅葺き職人が、関西、山口県、北九州などに大量に出稼ぎにいき「芸州屋根屋」という名を広め隆盛を極めたいわれている。
しかし近年、茅葺き民家は、急激に消滅の途をたどり、現在、県内には、人が実際に暮らす茅葺き民家はわずか二百棟、茅葺き職人は数人。農山漁村の人口激減と高齢化、宅地造成化、ダム開発による集団離村…。非情なまでの時代の流れによって、いまや風前の灯火となった。
映画では東広島市志和堀唯一の茅葺き職人・石井元春さんが行う茅刈り、茅ヘギ、茅葺き、ハサミ入れなど屋根葺き替え作業の全工程を主軸に、県内各地の職人や生活者の証言を綴り「芸州屋根葺き技術」の全体像をさぐる。後半、50年以上前に芸州屋根屋が出向いた出稼ぎ先・山口県、北九州、京都、滋賀県など広範囲に訪ねその実像に迫っていく。そこに浮かび上がってくる農村で育まれた人の営みの広大なひろがり。
忘れられてゆく茅葺き民家、その未来への願いとは! |
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<解説>
『土徳-焼跡地に生かされて』の監督、青原さとしが、故郷・広島に居を移し二年かけて仕上げた渾身のドキュメンタリー映画。
青原は、1988年から2002年までの14年間、民俗学者・宮本常一の流れを汲む民族文化映像研究所(所長・姫田忠義)に在籍し、古民家建築をめぐる映像記録作業に編集・演出助手として5作品関わっている。
世界遺産の白川郷の合掌造り、川崎日本民家園の移築工事の記録…。
そして同所独立後、新潟県松之山町(現・十日町市)の木羽(コバ)屋根技術を記録した
『雪国木羽屋根物語』(松之山教育委員会委嘱・2004年)も製作。
映画『藝州かやぶき紀行』は、青原がこれまで経てきた古民家建築の知見が集大成された作品であり、藝州かやぶき民家の技術、歴史、生活、自然、そしてそれをめぐって築かれた「出稼ぎ文化」を浮き彫りにした作品といってもいい。
自分の生まれ故郷であり、そこに生活してきたが故になしえたドキュメントの結晶である。
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『藝州かやぶき紀行』を撮る 青原さとし
2005年、春、私が東京18年の生活に区切りをつけ、故郷広島に暮らし始めて1年目。とある縁で、西中国茅葺き保存研究会の上田進さんにお会いした。広島市内の喫茶店で上田さんは、熱い思いを込めて語った。
「広島の茅葺き職人が、芸州流という名で呼ばれて全国でも名が知れていることをご存知ですか」
私は、東京のドキュメンタリー映画の製作会社で、岐阜県白川村の合掌造りや川崎日本民家園の移築民家の記録映画制作に何本か携わった経緯があったので、古民家建築に関心があった。しかし生まれ故郷をそのような眼差しで歩いたことがなかったので、上田さんの話に夢中になった。以来、上田さんは、広島県下の多くの茅葺き民家が現存する集落を車で案内してくれた。
中国山地の懐にある広島とは思えない豪雪地帯や、穏やかな瀬戸内海の島に至るまで。いたる所に茅葺き民家があり、人が暮らしていた。
茅葺きの職人さんも紹介していただいた。最初にお会いしたのが、東広島市志和掘の石井元春さん。昭和 年生まれで72歳だった。志和掘には、石井さんが現在でも葺き替え作業をしている茅葺き民家が12棟も立ち並ぶ。その他、北広島町の伊野文之介さん、熊野町の沢木端吾さん、大和町の清水愛之さんと皆、60歳以上なのにバリバリの現役だ。引退した職人さんにもお会いした。白木町の藤田秋雄さん、口和町の小川哲男さん、東城町の津村和茂さん。九州まで出稼ぎに行った話、モヤイという相互扶助で茅葺き替えを行っていた話…。今ではまったく消えてしまった習慣や暮らしの様子が次から次へと語られる。
正直、驚きを禁じえなかった。東京生活が長かったため、まず実際に人が生活している茅葺き民家が、わが故郷・広島にこれだけあるとは思いもよらなかった。同時に現役の茅葺き職人が、少なくとも五人いて今でも葺き替え工事を継続していることに喜びすら感じた。
しかし茅葺き民家に暮らす住民もそれを修復する茅葺き職人も、ほとんどが高齢者ばかりだ。彼らの話を聞き、仕事を見るのは、今しかない。文字通り風前の灯火だ。私は、ビデオカメラを携え各地の取材・撮影を開始した。
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青原さとし(ドキュメンタリー映像作家)
1961年、広島市生まれ。1988年、民族文化映像研究所(所長・姫田忠義)に14年勤める。2002年からフリー。代表作『土徳−焼跡地に生かされて』(2003年)『山踏み−森林再生への道』(2004年)『雪国木羽物語』(2004年)『望郷−広瀬小学校原爆犠牲者をさがして』(2006年)ヒロシマ平和映画祭実行委員会代表。
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