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<スタッフ>
プロデューサー・構成 : 大村 由紀子
現場取材 : 土井 博子
撮 影 : 森永 浩司、谷津 賢二
V E : 前田 幸紘
照 明 : 濱田 嘉博
音 声 : 松本 英彦
編 集 : 川路 幹夫
M A : 行本 秀樹
題 字 : 平山 仁是
C G : 森 貴史 大和美紗子
A D : 里山 千恵美 原 里絵
ナレーション : 斉藤 由貴
朗 読 : 井上 悟
音 楽 : 小室 等、佐久間順平、竹田裕美子、河野俊二
写真提供 : 本橋 成一、広川 泰士、丸林 宏昭、裵 昭、石倉 舜、 吉田 保、橋本 正勝
協 力 :
作兵衛(作たん)事務所、田川市石炭・歴史博物館、 福岡県立大学、直方市石炭記念館、嘉麻市教育委員会、
鞍手町歴史民俗博物館、九州歴史資料館、釧路市立博物館、 釧路市立城山小学校、釧路コールマイン、
太平洋石炭販売輸送 釧路港運作業、釧路石炭販売、石油天然ガス・金属鉱物資源機構
後 援 :
福岡県、田川市、一般財団法人石炭エネルギーセンター
宣伝美術 : 森泉 宏
配給宣伝協力 : 浦安ドキュメンタリーオフィス
制作・著作・配給 : RKB毎日放送
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<ストーリー>
日本で初めて「世界記憶遺産」に登録された炭坑絵師 山本作兵衛のドキュメンタリー
日本一だった石炭生産地、福岡県・筑豊に生まれた山本作兵衛(1892-1984)は、14歳からおよそ50年間炭坑夫として働いた後、60歳を過ぎてから、炭鉱生活の記憶を1000枚以上の絵に残しました。そんな作兵衛の絵や日記など697点が、2011年、ユネスコの「世界記憶遺産」に登録されました。日本初の快挙です。
明治、大正、昭和と、記憶の坑道を駆け降りる。 彼の絵には、ありのままの日本近代化の実像が描かれていた。 熱く暗い地の底で石炭を掘る男と女の姿、道具、共同風呂や子どもたちの遊び、縁起や迷信。貧しさの中でも冷静に観察者の目を持ち続けた作兵衛は、ヤマ(炭鉱)の生活すべてを克明に描きました。還暦を過ぎてツルハシを筆に持ち替えて描いた絵は、他に類を見ない貴重な生活記録画であり、びっしりと書かれた言葉や図解とともに、日本の近代社会をリアルに映し出しています。映画は作兵衛の人物像に迫るとともに、北海道釧路の現役炭鉱、ベトナムの炭鉱を取材。名もなき炭坑夫の絵がなぜ国境を越え「世界の記憶」となり得たのか。作兵衛の没後30年となる2014年、”庶民的”で”世界的”なアートの形を目撃してください。
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◆世界記憶遺産とは◆
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が1992年から実施している遺産事業の一つで、本来は「世界の遺産(Memory of the World)」と呼ばれる。歴史的で貴重な文書などを保全し、デジタルデータにして世界に広く公開することを目指している。ユネスコの世界記憶遺産国際諮問委員会(IAC)での審査を経て2年に1度登録が行われており、代表的なものでは、フランス人権宣言、アンネの日記、ベートーベン交響曲第9番の自筆譜などが登録されている。
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<プロフィール>
山本作兵衛
明治25(1892)年 福岡県嘉麻郡に生まれる 明治32(1899)年 弟の子守で7歳から炭坑に入る 明治39(1906)年 14歳で坑内夫として働き始める 大正 5(1916)年 兄の世話により結婚 昭和30(1955)年 64歳で炭坑夫を引退し、炭坑事務所の夜警で生計を立てる 昭和32(1957)年 「ヤマの姿を記録して孫たちに残したい」という思い、そして戦死した長男のことばかり思い出され気を紛らわす目的もあり、このころから炭坑の絵を描くようになる。 昭和59(1984)年 老衰のために死去(享年92歳) 平成23(2011)年 絵画と日記がユネスコ「世界登録遺産」に登録
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