波伝谷に生きる人びと

震災までの3年間、南三陸の小さな漁村の日常
2014年/日本/HDカラー/16:9/135分

第13回山形国際ドキュメンタリー映画祭「ともにある Cinema with Us」
第28回福岡アジア映画祭
第12回ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》
第36回PFFアワード2014「日本映画ペンクラブ賞」受賞


公式サイト

<スタッフ>
製作 : ピーストゥリー・プロダクツ 
監督 : 我妻和樹
<ストーリー>
海の恵みを受けて生きる南三陸の小さな漁村「波伝谷」。2008年3月から2011年3月11日にかけて、キャメラはこの地に生きる人びとの日常を撮り続けた。 
宮城県南三陸町の海沿いに位置する80戸余りの小さな漁村「波伝谷」。 
そこには豊かな海と山があり、人びとは牡蠣・ホヤ・ワカメなどの養殖と丘陵地での農業を営み、暮らしていた。 
共同の牡蠣剥き場で明け方から作業をする女たち。 
収穫まで3年かかるホヤの生育を祈りながら黙々と海辺に通う男たち。 
そこには、自然の豊かさと厳しさに寄り添いながら、地域に残る「結い」や「講」といったシステムを悩みつつ継承し、日々の暮らしを懸命に生きる「普通の」人びとがいた。 
2008年3月、そんな波伝谷にキャメラを持った一人の若者がやってくる。 
はじめ、大学の研究のために波伝谷を訪れた彼は、地域住民総出で行われる獅子舞の行事に心を奪われ、そのエネルギーの源泉に触れようと一人で波伝谷に通い続ける。そのキャメラにおさめた映像を、やがて映画にするために。 
それから3年後の、2011年3月11日。 
その日彼は、翌日予定されていた地域の会合で映画の試写会の日取りを決めようと、波伝谷に向かった。




<監督プロフィール>
我妻和樹(あがつま・かずき)

1985年宮城県白石市生まれ。2004年4月に東北学院大学文学部史学科に入学。翌2005年3月より、同大学の民俗学研究室と東北歴史博物館の共同による、宮城県本吉郡南三陸町戸倉地区波伝谷での民俗調査に参加。中心メンバーの一人として活動を続け、2008年3月発行の報告書「波伝谷の民俗ー宮城県南三陸沿岸の村落における暮らしの諸相ー」では執筆も担当する。
報告書の完成とともに大学を卒業し、以後個人で波伝谷でのドキュメンタリー映画製作を開始。2011年3月11日の東日本大震災時には自身も現地で被災し、その後の撮影と並行しながら震災までの240時間の映像を編集。そして製作に約6年の歳月を費やした初監督作品『波伝谷に生きる人びと』は、2013年8月15日に行われた波伝谷での試写会をもって完成となり、同年10月に行われた第13回山形国際ドキュメンタリー映画祭の震災関連映画特集「ともにある Cinema with Us」にて初公開となった(初公開時は128分)。
現在はピーストゥリー・プロダクツとして上映会を主宰し、2014年1月には南三陸町での完成披露上映会、夏には宮城県沿岸部を中心とした11市町での縦断上映会を開催している。本作以前の映像作品には、『鍛冶屋の町の守り神ー南鍛冶町三宝荒神社の2年間ー』(東北学院大学民俗学研究会/2008年/105分)、『誰もが映画を楽しむためのプロセス~バリアフリー上映への道のり~』(仙台短篇映画祭/2013年/28分)などがある。
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