ドキュメンタリー映画 『ひめゆり』

沖縄が日本に復帰して43年。
沖縄の地上戦が終結して70年。
私たちは、これからを生きる世代に何を伝えることができるだろう。
(c)ASIA Documentary Productions
         (c)プロダクション・エイシア
2007年/日本/ドキュメンタリー/130分

公式サイト

<受賞歴>
文化庁映画賞<文化記録映画部門>大賞
キネマ旬報ベスト・テン<文化映画>第1位
日本映画ペンクラブ<文化映画部門>ベスト1
<日本ジャーナリスト会議>JCJ特別賞
高崎映画祭特別賞
全国映連賞 監督賞
日本映画復興賞 奨励賞
SIGNIS JAPAN カトリック映画賞



<出演>
ひめゆり学徒の生存者 22名
<スタッフ>
製作・配給 :  プロダクション・エイシア

企画・監督 : 柴田 昌平

撮影 :  澤幡 正範  川崎 哲也  川口 慎一郎


「70年経ったら、また 『戦世(いくさよ)』 が来る」 と、

親から言い伝えられたひめゆり学徒がいた。

「70余年も経つと、戦争を体験した人たちも亡くなり、指導者が戦争を美化する。

私の親たちが言ったことは、それを戒めようとしているのだと思います。」

現実味を帯びつつある今。


ピアノで「月光の曲」を弾いていた日常。その翌日、戦場に動員・・・・。

目の当たりにした「戦」とは?


ひめゆりの生存者の記憶を受け取った私たちは、どのように次の世代に継いでいくのか。

  一人から、次のひとりへ手渡していただきたい。

6月23日の沖縄慰霊の日にちなんで、毎年上映を続けていきます。
                                                                         
映画 『ひめゆり』 制作・上映スタッフ

<ストーリー>

13年の時をかけ
生存者22人の言葉を丹念に紡いだドキュメンタリー

1945年、太平洋戦争末期に、沖縄では日本軍と米軍による住民を巻き込んだ地上戦が展開されました。15歳から19歳の女学生222名が急きょ看護要員として動員されます。のちに「ひめゆり学徒隊」と呼ばれるようになった少女たちです。テニス部やバレー部で汗を流し、歌い、学園生活を送っていた少女たちの生活が一変します。赤十字の旗が立つ安全地帯へ配属されるものと思っていましたが、そこは砲弾の飛び交う戦場でした。病院とは名ばかりの暗い壕の中で、負傷した日本兵の看護をはじめ手術の手伝い、死体処理まで命じられます。約三か月の間に123名が戦死。生きのびた生徒たちの多くは、戦後長く沈黙を保っていました。ひめゆり学徒の生存者22名が、戦場の体験と亡き友への想いを自らの言葉で綴る初の長編ドキュメンタリーです。

なんとなく知った気になっていた沖縄戦。繰り返し映画やテレビなどで取り上げられ、「殉国美談」のイメージがつきまとう「ひめゆり学徒」。しかし、戦場を体験した者の証言は圧倒的な力で私たちに迫り、戦争の本当の姿が見えてきます。彼女たちが過酷な記憶を掘り起こし、自らの言葉にするまでには、数十年の歳月が必要でした。長い葛藤の日々をへて語られる言葉からは、凛とした強さが伝わります。生きることの強さと、命の重さが伝わってくるのです。
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