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<出演>
アヴタンディル・ヴァラジ
ダヴィト・アバシゼ
ギヴィ・アレクサンドリア
スパルタク・バガシュヴィリ
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テイムラズ・ベリゼ
ショタ・ダウシュヴィリ
マルゴ・グヴァラマゼ
アミル・カカバゼ |
ズラブ・カピアニゼ
ロザリア・ミンチン
アレクサンドレ
・レフヴィアシュヴィリ |
Z・カルダニ
ニノ・セトゥリゼ
ボリス・ツィプリア |
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<スタッフ>
監督 : ギオルギ・シェンゲラヤ
脚本 : ギオルギ・シェンゲラヤ
エルロム・アフヴレディアニ
撮影 : コンスタンティン・アプリャティン
ドゥダル・マルギエフ
アレクサンドレ・レフヴィアシュヴィリ
美術 : ヴァシル・アラビゼ
アヴタンディル・ヴァラジ
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音楽 : ノダル・ガブニア
ヴァフタング・クヒアニゼ
音響 : オタル・ゲゲチコリ
効果 : M・ガグア
衣裳 : グルナラ・クルディアニ
メイク : A・イヴァシチェンコ
製作 : スサナ・クヴァラツヘリア |
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<概要>
映画『放浪の画家ピロスマニ』は、グルジア(ジョージア)の独学の天才画家ニコ・ピロスマニ(1862-1918)の半生を描いた作品である。近年、ピロスマニは貧しい絵描きと女優の哀しい恋を歌った「百万本のバラ」のモデルとしても知られている。名匠ギオルギ・シェンゲラヤ監督は、名も知れず清冽に生きたピロスマニの魂を、憧れにも似た情熱で描くとともに、グルジアの風土や民族の心を見事に映像化した。
1969年に製作された本作は、ピロスマニの絵に似て静謐で美しく、国際的にも高い評価を受けた。1978年の日本初公開時にも多くの観客を魅了し、その感動は今でも語られることが多い。その当時はロシア語吹き替え版のプリント上映だったが、この度はグルジア語のオリジナル版による待望の再上映となる。
ピロスマニの本名はニコロズ・ピロスマナシュヴィリ。19世紀末から20世紀初頭にかけて、カフカス(コーカサス)山脈の南にある国グルジアで、パンや酒とひきかえに店に飾る絵や看板を描き続け、貧しく孤独のうちに亡くなった。放浪の画家、孤高の画家と呼ばれ、絵は人物、動物、暮らし、風景などをテーマに、グルジアの風土に育まれた世界を素朴な筆致で描いたもので、その数は1000点から2000点といわれている。
死後に高く評価され、現在はグルジア人の魂を象徴する存在として人々に愛され、収集された200点余りが国立美術館等で大切に保存、展示されている。世界中で展覧会が開かれているが、日本でも1986年に大々的な展覧会が催され、2008年の「青春のロシア・アヴァンギャルド」展でも展示されて話題になった。
ギオルギ・シェンゲラヤ監督は1937年生まれのグルジアを代表する映画人。本作に続いて『若き作曲家の旅』(1984)、『ハレバとゴーギ』(1987)も日本で公開されている。父はグルジア映画の父といわれるニコロズ・シェンゲラヤ監督<『エリソー』(1928)、『26人のコミッサール』(1932)>母は大女優ナト・ヴァチナゼという映画一家に育ち、ソ連邦時代に、モスクワ映画大学でアレクサンドル・ドヴジェンコ監督<『大地』1930)>に師事した。兄はグルジア映画人同盟の代表を務めたエルダル・シェンゲラヤ監督<『青い山-本当らしくない本当の話』(1984)>である。
ピロスマニを演じたのは、本作の美術を担当したアヴタンディル・ヴァラジ(1926~1977)。シェンゲラヤ監督に抜擢されて、ピロスマニの寡黙でナイーブな内面を見事に演じた。ピロスマニとも親交のあった画家ラド・グディアシュヴィリは、画家としてのヴァラジを「ピロスマニの伝統を受け継ぎ、独自のスタイルで、絶えず現代的な表現方法を追求しようとした」と評している。
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<ストーリー>
19世紀後半から20世紀初頭、ロシア帝政下のグルジア(ジョージア)のチフリス(現在の首都トビリシ)。幼くして両親を亡くしたピロスマニは、長年世話になった一家の娘に恋文を送ったために騒ぎとなり、その家族のもとを離れることになる。
しばらく鉄道員として全国を旅した後、友人ディミトリと乳製品の店をひらいた。店は繁盛したが、ピロスマニは昼日中に乾し草を広げて横になったりして、仕事に身を入れなかった。故郷の姉夫婦が縁談をまとめようとするが、彼の金が目当てだということが結婚式の最中にわかり、ピロスマニは式を抜け出して姉と仲違いをする。またディミトリとも関係が悪化、ピロスマニは店の商品を貧しい人々に分け与えると、店を閉めた。
まもなくピロスマニのチフリスの街を転々とする日々が始まる。画材を小脇にかかえて酒場をまわり、その日の糧や酒とひきかえに、店の看板や壁に飾る絵を描くのだった。彼はいつも一人で酒を飲み、声をかけられても仲間に加わらない。人々は孤独で誇り高い彼を「伯爵」と揶揄もするが、ニカラと愛称で呼んではなにかと世話をするのだった。
ある日、ピロスマニは酒場でフランスからきた女優マルガリータと出会う。しかし彼女への報われない愛は、ピロスマニを一層孤独な生活へ追い込んでいった。さらに第一次世界大戦が始まり、ロシア革命前夜でもある激動の時代を迎え、彼は貧しく厳しい日々を送るようになり、一杯の酒を得るために酒場を渡り歩くのだった-
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<プロフィール>
ギオルギ・シェンゲラヤ監督
1937年5月11日、ソヴィエト連邦下のグルジア(ジョージア)共和国に生まれる。父はグルジア映画の父といわれるニコロズ・シャンゲラヤ監督<『エリソー』(1928)、『26人のコミッサール』(1932)>、母はグルジアの大女優ナト・ヴァチナゼという映画一家に生まれた。父は1943年、撮影中に死去。その数年後、母も飛行機事故で亡くなっている。ギオルギはモスクワ映画大学でアレクサンドル・ドヴジェンコ監督<『大地』(1930)>に師事し、1962年に卒業する。映画監督のほか、俳優、脚本家としても活躍している。兄は映画監督エルダル・シェンゲラヤ<『奇妙な展覧会』(1968)、『青い山―本当らしくない本当の話』 (1984)>である。
[監督作品]
1962年 アラヴェルドバ Alaverdoba
1965年 報い Jildo
1966年 マツィ・フヴィティア Matsi Khvitia
1969年 放浪の画家ピロスマニ Pirosmani
1973年 ヴェラ地区のメロディー Veris ubnis melodiebi
1976年 砂は残る Kvishani darchebian
1980年 誰もが愛を望んでいる Sikvaruli kvelas unda
1984年 若き作曲家の旅 Akhalgazrda kompozitoris mogzauroba
1987年 ハレバとゴギア (日本公開時題名:ハレバとゴーギ) Khareba da Gogia
1996年 オルフェの死 Orfeosis sikvdili
2000年 葡萄畑での愛(グルジアの葡萄)Sikvaruli venakhshi
2005年 汽車は行く Midioda mataredeli
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