ドキュメンタリー映画 『ひめゆり』
 
一人から次のひとりへ伝えたい
 
観客としてこのドキュメンタリーに出会い、観るだけでなく伝える行動をした人たちが多くいます。全国で市民上映会が生まれる力になりました。今も上映事務局の一端を担っているスタッフは、映画に出会った30代当時の気持ちをこう語ります。

 「僕は普段、積極的に行動する人間じゃない。
 政治を変えるとか、戦争をなくすって
 自分は何も出来ないから無力感を感じるし、
 絶望したくないから思考停止させていた。
 でも、映画を観終わって、何かが宿る。
 映画のチラシをごっそりもらって周りの人に配りはじめていた。
 次に伝えたかったから。
 平和に対して、今までのように
 引きこもっていようという思考は消え去った。
 それを“希望の映画”って言う人もいる。」
  (富士 海)

ひめゆり学徒の生存者が90歳代となり、ひめゆり平和祈念資料館に戦後世代の館長が誕生しました。次の世代にバトンは引き継がれています。一人から次のひとりへ、ひめゆりの平和への願いが伝わっていくことを願ってやみません。
6月23日の「沖縄慰霊の日」にちなみ、公開以来ポレポレ東中野と共に上映を続けています。
映画『ひめゆり』上映事務局


あの戦争から、基地のある今の沖縄が続いている。
私たちは、これからを生きる世代に何を伝えることができるだろう。
      (c)プロダクション・エイシア
2006年/日本/ドキュメンタリー/130分

公式サイト

<受賞歴>
文化庁映画賞<文化記録映画部門>大賞
キネマ旬報ベスト・テン<文化映画>第1位
日本映画ペンクラブ<文化映画部門>ベスト1
<日本ジャーナリスト会議>JCJ特別賞
高崎映画祭特別賞
全国映連賞 監督賞
日本映画復興賞 奨励賞
SIGNIS JAPAN カトリック映画賞



<出演>
ひめゆり学徒の生存者 22名
<スタッフ>
製作・配給 :  プロダクション・エイシア

企画・監督 : 柴田 昌平

撮影 :  澤幡 正範  川崎 哲也  川口 慎一郎
<ストーリー>

13年の時をかけ
生存者22人の言葉を丹念に紡いだドキュメンタリー

太平洋戦争末期の1945年、沖縄では日本軍と米軍による住民を巻き込んだ地上戦が展開されました。15歳から19歳の女学生222名が急きょ看護要員として動員されます。のちに「ひめゆり学徒隊」と呼ばれるようになった少女たちです。テニス部やバレー部で汗を流し、歌い、学園生活を送っていた少女たちの生活が一変します。赤十字の旗が立つ安全地帯へ配属されるものと思っていましたが、そこは砲弾の飛び交う戦場でした。病院とは名ばかりの暗い壕の中で、負傷した日本兵の看護をはじめ手術の手伝い、死体処理まで命じられます。約三か月の間に123名が戦死。生きのびた生徒たちの多くは、戦後長く沈黙を保っていました。ひめゆり学徒の生存者22名が、戦場の体験と亡き友への想いを自らの言葉で綴る初の長編ドキュメンタリーです。


なんとなく知った気になっていた沖縄戦。繰り返し映画やテレビなどで取り上げられ、「殉国美談」のイメージがつきまとう「ひめゆり学徒」。しかし、戦場を体験した者の証言は圧倒的な力で私たちに迫り、戦争の本当の姿が見えてきます。
彼女たちが過酷な記憶を掘り起こし、自身の言葉として語れるようになるまでには、数十年の歳月が必要でした。長い葛藤の日々をへて語られる言葉からは、命の重さと、生きることの凛とした強さが伝わります。
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