早坂暁生誕90周年記念映画  森川時久監督作品
夏少女

完成以来23年の時を経て初の劇場公開
幻の名作が今甦る―
瀬戸内海の美しい風景の中にヒロシマに消えた<夏少女>の思いが見えてくる
1996年|日本|90分|BD|カラー


<キャスト>
桃井かおり   間寛平

矢崎朝子  藤岡貴志  景山仁美  
朱門みず穂  高原駿雄  川上夏代 
坂田明(特別出演)
<スタッフ>
監督 : 森川時久

脚本 : 早坂暁 

監督補 : 須藤公三

製作 : 内野谷典昭 鍋島淳 
撮影 : 東原三郎 
照明 : 三荻国明 
美術 : 竹内公一
録音 : 本田孜 
音楽 : 桑原研郎 

配給 : (C)「夏少女」上映委員会

<解説>
「この物語はだけはどうしても映画化したかった」-
『夢千代日記』などで知られる日本を代表する脚本家・早坂暁が自らの原爆体験を踏まえ、その集大成として執筆したのが、この『夏少女』だ。
1996年に映画は完成したものの製作時の諸事情から四半世紀の間、封印されていたが、
早坂暁生誕90周年の今年、オリジナルネガが奇跡的に発見され、初めて劇場公開される事になった。
『若者たち』の名匠・森川時久監督のメガホンのもと、先日、放送文化基金賞を受賞した名優・桃井かおりを主演に、間寛平、景山仁美、坂田明ら実力派演技陣が織り成す魂のファンタジーに仕上がっている。
<ストーリー>
あなたにはこの愛の蜃気楼が見えますか?
瀬戸内海に浮かぶ人口3千人の小さな島に住む12歳の少年マモルのひと夏のふれあい―。
マモルの母は郵便船の船長、父は雑貨屋を営んでいたが、それぞれが戦争の傷跡を抱え込んでいた。そして、マモルの前に忽然と現れた<夏少女>は、ヒロシマの過去と現在をつなぐ美しい化身だったのか…。
<コメント>

8年も『花へんろ』(NHK)で早坂暁先生のお母様を演じていて、暁さんのことならもうなんでも知っているような気になっていたある日。“まだ描いてない、書かなきゃいけない話がひとつだけあって〜これは描いてやりたいんよ”実家の店前に捨てられた女の子、その子は暁さんの妹として育てられますが、後に二人とも恋心を抱きます。
“好きになっていいんよ”と母から告白された少女は呉の訓練学校にいた兄のもとへ。その途中で原爆投下に遭うのです。“まだね、ぼんやりしとるんじゃないかと思うんよ、しっかり送ってやりたいんよ”『夏少女』はそんな早坂暁さんの思いが詰まった映画でした。
地元の皆さんに協力して頂いて、暁さんを育てたと土地神さまにも偶然と助けられて出来た奇跡の映画です。主役の少女と少年も地元の子供達です。
みんなで合宿して、ご飯作って、お風呂も入って、映画も作った。でももうすっかり大人ですね? 早坂先生が亡くなった今、またこうして公開していただけるのは、やはり暁さんの底力です。だって早坂暁さんはこよなく優しく、正しく、面白く一番素敵な人間だったんだから、きっとすごくいい神さんにもなってるはずだ。
映画の中で、なんだか二人に会えるような、やっと送れるような、安堵感に浸っています。
桃井かおりさん

『夢千代日記』から『夏少女』へ
昭和20年4月、四国の北条から海軍学校へ入学した私は、わずか4カ月で終戦を山口県諏訪市で迎えた。8月19日か20日だっただろうか、一斉に故郷へ引き上げる人々を乗せた列車が広島へ入った。夜だった。
 見ると広島駅はプラットホームだけで駅舎もない。原爆で壊滅したとは聞いていたが、あんな大きな街が一発の爆弾で消滅してしまうとは、まだ想像できなかった。しかし次の瞬間、私の不安は現実になったのである。目の前で無数のリンが燃えていた。何百、何千。それはどう表現していいかわからない。
 じつはこの時、そのリンのひとつが妹・春子だったかもしれないということを、私はまだ知らなかった。春子は、北条の遍路道沿いにあった私の家の前に、置き去りにされていた赤ん坊だった。兄妹として育ったが、成長していくにつれ互いを意識しあうようになり、私の母は私が兵学校へ行っている間に、血のつながりのない兄であることを春子に告白したらしい。
 春子は喜んで、防府にいた私のところへ一人、面会に出た。そしてちょうど広島へ足を踏み入れたところで、原爆に焼かれた。「会って話したいことがあるというものだから」母は春子を出したことを、その後悔やんでいた。かわいそうな春子。
 私は早くから、春子を通して体験した原爆というものを表現したいと思っていたが、それが実現したのが『夢千代日記』だった。あの日、広島駅で呆然としていた時、赤ん坊の声が聞こえてきた。“生”の象徴たる赤ん坊の声がする。その驚きが私の脳裏に焼きついていた。主役の吉永小百合さんはくしくも昭和20年生まれ。あの時泣いていた赤ん坊の声が小百合さんにオーバーラップした。
 『夢千代日記』は赤ん坊のその後の人生を書いたものである。胎内被曝していて、やがて白血病になっていく。子は母の血を必要としている。母の血はしかし被爆したものだ。核は怖い。
 それまで背後にいたヒロシマが、いつの間にか前へ出てきた。未来のヒロシマの姿が浮かび上がってくる。地球や人間が核によって崩壊していく姿、それをくい止めるために日本は先頭に立って、被爆都市を二つ持つ国として責任を果たさなければならないだろう。
 ヒロシマは、歩くと何か目にみえないものとぶつかるような気がする。あの日なくなった小さな子供たち。命がその瞬間に燃えた。しかしその時のまま生きている。ただその姿が私たちには見えないだけなのである。私は少しでも彼らの痛みをわかりたい。春子の痛みをわかりたい。そういう気持ちが『夏少女』へ向かわせた。
 私たちは、心に被爆すれば彼らが見える。        (当時のパンフレットより)
早坂暁(脚本家)  

日常をひと皮むいた時、死者と生者の交叉る声がきこえる
瀬戸内海の夏、自然の営みとともに生きる人々の表現は明るい。しかし、その表皮をそっとめくれば、そこには風化していない原爆の蔭がある。原爆は経験したことのない死の恐怖と、生への不安を焼きつけた。死者と生者の双方に、断ち切ることのできない想いを凝固させた。いまも広島の街に散在する原爆瓦には、その凝固されたものが焼きついている。たとえば、一枚の瓦には、少女が見える。やがて少女は忘れることのできないものを求めて、動きはじめる。
 この映画『夏少女』は、幻想の物語である。明るく生きる人々の日常と、その裏にある広島の幻想とを劇的に交錯させ、存在感のある作品に仕上げたつもりである。広島の悲痛な想いと、希求するものの大切さを、戦争を知らない世代に、より深く伝えることができればと願っている。                   (当時のパンフレットより)
森川時久(監督) 
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