|
<スタッフ>
監督: 荒戸源次郎
原作: 車谷長吉(第119回直木賞受賞)
撮影: 笠松則通
音楽: 千野秀一
|
|
<出演>
大西滝次郎 寺島しのぶ 大楠道代 内田裕也 |
|
<解説>
車谷長吉氏の『赤目四十八瀧心中未遂』(文藝春秋刊)が、第百十九回直木賞を受賞したのは、平成十年七月。
その半年前、刊行直後に読んで感動した荒戸源次郎は、同時代の小説にかくも惹かれている自分が信じられなかったと述懐しているが、その思いが車谷氏にも通じたのであろう。初めて会ったその場で、快諾をされたという。
それから、原作と四つに組んでの荒戸源次郎のシナリオ作りが始まった。原作のすべてと、そこから触発された荒戸の読みのすべてを注ぎ込んだ第一稿は、膨大なボリュームになったという。そして二稿、三稿・・・・と骨身を削るように推敲を重ねて四年。
平成十四年三月、『赤目四十八瀧心中未遂』の製作母体となる赤目製作所が立ち上げられたのである。
以来五ヵ月の準備期間を経て、平成十四年八月八日にクランク・イン、十月五日に、第一次の主要な撮影を終了。その後、十一月に秋季ロケ、翌十五年二月に冬季尼崎ロケ、四月の春季京都ロケをもって、四月二十日、延べ九ヵ月にわたった撮影を無事終了してクランク・アップ。編集・仕上げに三ヵ月あまりを費やし、ここに映画『赤目四十八瀧心中未遂』が完成した。(上野昴志) |
|
<プロフィール>
監督 ◆ 荒戸源次郎 〈Arato Genjirou〉
映画は上映され観客の前でのみ映画になる。この摂理に従えば映画には映画館がどうしても必要である。同時に映画館を有しない製作側の映画は常に配給興業側の同行に左右されることになる。この映画製作の歴史的ジレンマに立ち向かい、正論を実行したのが荒戸源次郎である。荒戸は映画と映画館を同時に立ち上げるという単純明快な方法を提唱したのだ。
1980年4月「ツィゴイネルワイゼン」とエアドームの映画館が出現したのは、東京タワーの真下であった。
「ツィゴイネルワイゼン」は、日本アカデミー賞をはじめ、キネマ旬報年間第一位、ベルリン映画祭審査員特別賞など賞という賞を独占し、興業的にも大成功を収めた。"産直方式"と呼ばれたエアドームの映画館は、新宿、原宿、渋谷、吉祥寺から大阪、名古屋、札幌、博多と出現し、「陽炎座」、「どついたるねん」、「王手」、「夢二」など数々の映画を世に送り出し、単館上映の先駆となったが――― 消えた。
荒戸は逃げたそうだ。○国人に追い込まれて死んだらしいなどと、真事しやかに囁かれていたが・・・・消息不明。爾来十年余、□川も△山も荒れ果てた平成15年7月29日「赤目四十八瀧心中未遂」が窃かに完成した。
映画は花火のようだと言った先達がいる。とすれば、還ってきた荒戸源次郎は"赤目"でどんな花火を仕掛けるのか?!否、映画は夢よ ただ狂え!
|
生島 与一 ◆ 大西 滝次郎 〈Tkijirou Onishi〉
「赤目四十八瀧心中未遂」が発見した新星。いきなり主役に抜擢され突然のスポットライトを一身に浴びたのだが、渾身で主人公・生島与一になりきった。日本刀の底光りする艶を持つ大西は、歌舞伎の色悪に通じるだろう。笑顔よりも悲しみが似合う面差しには、どうにもならない頑なさがにじむ。そんな男の気配をかつては色気と呼んだ。
|
綾 ◆ 寺島 しのぶ 〈Shinobu Terajima〉
映画化の話もない頃から、車谷長吉の「赤目四十八瀧心中未遂」に魅入られた女優がいた。寺島しのぶである。
1972年、歌舞伎の名門に生まれた彼女は、舞台での華々しい活躍により、1996年度芸術祭賞新人賞を受賞。その後も菊田一夫演劇賞など、数多くの賞を受賞。その伸びやかな表現力で、映画、TVなど幅広く活躍する。現在、最も注目を集める女優である。
"赤目"のヒロイン綾ちゃんが乗り移ったとしか思えない寺島しのぶは鮮烈! |
岸田 勢子 ◆ 大楠 道代 〈Michioyo Okusu〉
大映時代に安田道代の名前で「氷点」「痴人の愛」など、看板女優として数多くの映画に出演。80年「ツィゴイネルワイゼン」では、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、キネマ旬報助演女優賞など、多数受賞。「陽炎座」では松田優作と主演を担った。その後も「愚か者傷だらけの天使」キネマ旬報助演女優賞、「顔」日本アカデミー賞助演女優賞、キネマ旬報助演女優賞など受賞。 |
彫眉 ◆ 内田 裕也 〈Yuya Uchida〉
永遠のロックンローラーとして、誰もが知る存在である内田裕也だが、その類まれなる才能は、音楽の世界だけにとどまらず、映画においても俳優はもちろんのこと、企画、製作・脚本を手掛けるなど、幅広く活躍する。1996年公開の「コミック雑誌なんかいらない」では、キネマ旬報主演男優賞、報知映画賞最優秀作品賞、主演男優賞などを受賞。 |
|
原作 ◆ 車谷 長吉 〈Chokitsu Kurumatani〉
1945年、兵庫県に生まれる。慶応義塾大学独文科卒。広告代理店に勤務しながら、小説を書く。この時期、執筆した短編が文芸誌に掲載されたのが機となり、以後、私小説を書き継ぐ。その後、東京を離れ、関西で下足番、料理屋の下働きなどの職を転々とする。92年に出版されたはじめての作品集「鹽壺の匙」で芸術選奨文部大臣新人賞、三島由紀夫賞を受賞。96年「漂流物」で平林たい子賞、98年「赤目四十八瀧心中未遂」で第119回直木賞を受賞。2001年には「武蔵丸」で川端康成文学賞を受賞。現代の多くの小説が、社会の表層に浮遊しているだけなのに対し、氏は時代の流れに抗うように、身を削り、"言霊"を小説に刻み込む。書くことへの執念の凄まじさは、現代文学において最後の私小説作家といわれているが、車谷長吉は文士と呼ばれてこそ相応しい。
〔著書〕
「鹽壺の匙」(新潮社) / 「漂流物」(新潮社) / 「赤目四十八瀧心中未遂」(文藝春秋)
「業柱抱き」(新潮社) / 「金輪際」(文藝春秋) / 「白痴群」(新潮社)
「文士の塊」(新潮社) / 「銭金について」(朝日新聞社) / 「偽世捨人」(新潮社)
「いのち仕上げの名台詞」(小学館文庫)
他、限定版にて「抜髪」「車谷長吉句集」(ともに湯川書房)
<車谷長吉氏(原作)コメント> |
一冊の本を読み終わった瞬間、も一度初めから読みたくなる本がよい本だ。映画は観終った瞬間、も一度観たくなる映画がよい映画だ。平成十五年七月二九日、東京五反田のイマジカで映画『赤目四十八瀧心中未遂』の試写を観た。私が書いた小説「赤目四十八瀧心中未遂」(文藝春秋刊)より凄いと思うたのが、まず偽らざる私の感想だった。一般に小説を映画化すると、大抵は原作に及ばない。がっかりした、というのが、長い年月私の頭にこびり付いた固着観念だった。それを荒戸源次郎監督の映画『赤目四十八瀧心中未遂』は見事に破って下さった。嬉しい。 |
|
撮影 ◆ 笠松 則通 〈Norimichi Kasamatsu〉
日本大学芸術学部在学中に石井聰亙監督の「狂い咲きサンダーロード」の撮影を担当。その後も、阪本順治監督「どついたるねん」、松岡錠司監督「バタアシ金魚」、豊田利晃監督「ポルノスター」などデビュー映画の撮影を担当する。この事実は決して偶然ではない。笠松の撮影技術への信頼の証である。多くの監督が大成した結果は、笠松撮影の実力なくしてあり得なかったといっても過言ではないだろう。「赤目四十八瀧心中未遂」ではシネマスコープの大画面で「映画は映画館で観るべきものだ」ということを教えてくれる。
音楽 ◆ 千野 秀一 〈Chino Shuichi〉
1970年から職業音楽家として活動、多数のユニットに参加。80年代に入り映画、演劇、ダンスの伴奏音楽の作曲を手掛ける。90年代からはデジタルソースを使った極私的かつ実験的な作品の制作や音楽用ソフトウェアの開発を行う。
映画では「ヒポクラテスたち」、「風の歌を聴け」(大森一樹監督)、舞台では舞踏集団・大駱駝鑑の大半の作品など多数の作品を手掛ける。 |
|