「荒木栄の歌が聞こえる」

滝廉太郎、古賀政男に続く九州が生んだ偉大な作曲家であり、
三池炭鉱が生んだ輝かしき文化遺産・・・「荒木栄の歌たち」を今、見直し、全国的な存在に・・・・

日本/ドキュメンタリー映画/95分

 公式サイト

<スタッフ>
プロデューサー     藤田祐司
構成・監督        港 健二郎
撮影            藤田祐司
               山崎暁一朗(大牟田在住) 
撮影助手         古閑 靖人
編集           原田 圭輔
リポーター        hizuki
企画・製作 「荒木栄の歌が聞こえる」製作委員会
配給  東京ビジネスサーチ
<解説>
 労働者作曲家・荒木栄・・・・・
今から48年前、1960年の三井三池争議の中で、彗星のように現われ数々の歌を残した栄は、争議終結2年後の62年秋。38歳の若さでこの世を去りました。
しかし、荒木栄は、今なお、三井三池争議の時代を生きた人々や、栄がその中心的担い手であった「うたごえ運動」に関心の深い人々の間では伝説的な人物として知られています。
    ♪がんばろう 突き上げる空に 
      くろがねの男のこぶしがある
      燃え上がる女のこぶしがる
1960年、三池争議の坩堝な中から生まれたこの『がんばろう』〈森田ヤエ子作詞〉は、荒木栄の名前さえ知らない人々の間にも、またたくまに広まりました。
時は折りしも、歴史的な60年安保反対闘争が最高潮に。「国会を一枚の楽譜が取りまいた」といわれた『がんばろう』が、格差社会が深刻化する中で、再び、甦りつつあります、

 荒木栄は『がんばろう』の他、『地底のうた』、『花をおくろう』『沖縄を返せ』『わが母のうた』など生涯に70曲近くの歌を生み出し、今も一部では愛唱されていますが、その名前さえ知らない人が多くなりました。
いや。栄の歌だけではありません。
   今、働く人が腕を組み、声を合せて歌うことが、ほとんどなくなりました。
そんな中でも、荒木栄の歌、とりわけ『がんばろう』は、今なお、みずみずしい生命力を持って歌い継がれています。
全国、津々浦々の合唱団ではもちろんのこと、阪神淡路大震災をきっかけに結成されたソウル・フラワー・モノノケ・サミット、沖縄民謡の大家でもある大工哲弘さんなど個性的なシンガーたちによっても歌われています。
それは、何故なのか・・・・ 
  そして、『受験生ブルース』などで知られ日本のフォークソングの草分けの一人である高石ともやさんは、荒木栄の『わが母のうた』が、歌手の道に入った大きなきっかけの一つだったといいます。

 この映画は、そうした荒木栄の歌の魅力の源を神戸や沖縄で活躍する若きシンガー・hizukiに寄り添いながら、探っていく音楽ドキュメンタリー映画。
2007年3月、折りしも三池炭鉱が閉山して10年目に撮影を開始。栄が終生を過ごした大牟田はもちろん、北海道・夕張から沖縄・与論島まで日本縦断ロケを敢行。ほぼ一年後の2008年5月に95分の長編ドキュメンタリー映画として完成。
 映画の一駒一駒から、荒木栄が生きて、歌い続けたあの英雄伝説・・・日本の熱い日々・三池闘争の日々が甦るとともに、沖縄返還、国鉄民営化反対闘争、教育基本法改悪反対闘争で果たした荒木栄の役割を改めて検証していくことになり、そのことを通じて私たちは、歌の持つ大きな力、生きる励ましに気付かされるにちがいありません。

 この映画では、又、荒木の名曲『星よおまえは』『夜明だ』『仲間のうた』などが、今、第一線の音楽シーンで活躍するアーチストたちがその持ち味を生かして歌っているのも大きな見所、聞きどころです。また、荒木栄の畢竟の大作『地底のうた』『子どもを守るうた』も、たっぷり紹介。その他、『がんばろう』『心にゃ夜はない』『五月のうた』『花をおくろう』『沖縄を返せ』『わが母のうた』を収録。
  大工哲弘、嘉門達夫、ミネハハ、ミヤギ・マモル、関島秀樹、ソウルフラワー・モノノケ・サミットら多彩なアーチストが歌で参加。荒木栄とともに青春の日々を過ごした人々とともに、湯川れい子さん、高石ともやさんも、貴重なコメントを寄せています。 

<監督コメント>

○大牟田に寄せる思い・・・・

  私は生まれ育った故郷・大牟田をこよなく愛しています。
  そして、大牟田が、日本の歴史の大きな転換点になった三井三池争議が闘われた場所であることに、大きな誇りを持っています。
   しかし、一部に、「三井三池争議」を「負の遺産」とみなす見方が残っていることが残念でなりません。
   全国の働く人々の大きなエネルギーを結集したあの闘いは、歴史的な視点に立つと貴重な「富の遺産」であり、それを多くの人に伝えたい・・・・・
   それが、2005年に劇映画「ひだるか」を創ったのも、今回、その「姉妹編」とも言うべきドキュメンタリー映画を創ったのも、そうした想いに突き動かされてのことでした。

 ○若い世代にこそ、この映画を!!!
今回の映画づくりを通じて、荒木栄が、どれだけ多くの人々に影響を与えていたかを、改めて知ることができました。
  しかし、残念ながら、それは、三池争議体験者を中心とする人々で、若い世代にはほとんど、知られていません。
  この映画を、老若男女、とりわけ、若い世代に見てもらいたいと思う由縁です。

 
○荒木栄の業績を現代に生かすために・・・・
  映画の試写を見た人が、荒木栄の里・大牟田見学ツアーを企画したらどうだろうと、東京の旅行社の人に提案していました。
  三池争議後、大牟田を新婚旅行先に選ぶ人が後を断たなかったという事実にもとづく発想です。その方々も熟年。青春の息吹を取り戻すツアーとして人気を呼ぶかもしれません。
  荒木栄のみならず、大牟田を知ってもらう良い機会にもなるでしょう。  
   また、荒木栄没後45年。彼に関する資料の散逸が始まっています。関係者の間からは、それを心配する声が上がっています。今回の映画上映が、資料の収集、できれば、「荒木栄記念館」建設に向けての呼び水になれば幸いだとも思っています。
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