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<スタッフ>
製作 : MuchaKU Lab
監督・撮影 : 栗原奈名子
撮影 : エリオ・イシイ(サンパウロ)
編集 : 斉藤貴志 / 今野裕一郎
オリジナル音楽 : 道下和彦
音楽アドバイザー : 稲岡邦弥
題字 : 小澤薫
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協力 : 関西ブラジル人コミュニティ
NPO大阪アーツアポリア / The Rabadas
Cultura Clube / BUSSTRIO
日本語・ポルトガル語 字幕 :
リリアナ ・ユリエ・マスダ・オダ
ポルトガル語字幕 :
ロベルト・マクスウェル、パメラ・畠
配給 : アムキー(art media K.Y.) |
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人生とは、生き甲斐のある生活を送ること、人間の幸せとは、何事にも満足すること ---- 紺野堅一
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<ストーリー>
紺野堅一さんは、現在92歳。不況まっただ中の戦前の日本から、出稼ぎの つもりで単身ブラジルに渡って72年。言葉もわからない土地で、10回も職業を変え、破産の憂き目にもあった。だが、諦めずに努力した甲斐あって、今ではサンパウロで悠々自適の暮らしをしている。
しかし、紺野さんは家でじっとしているご隠居さんではない。今年も紺野さんは飛行機だけでも26時間かけて日本にやってくる。それは日本に出稼に来ている若いブラジル人たちを訪ねるためだ。日本在住の日系ブラジル人の数は現在31万人を超え、増加と滞在長期化傾向にある。彼らの姿が、出稼ぎのはずがブラジルに定住するはめになった自身の体験と重なる。彼らの将来はいったいどうなるのか。子供たちの教育の現状はどうか。若い世代の仕事の苦労話に耳を傾け、子供たちに勉強の様子を尋ねる。先生たちと懇談するため学校へも出かけていく。
そして、この旅は彼自身の人生を振り返る旅でもあった。「大日本帝国臣民」として、それともブラジル人として人生を終わるのか。レイルパス片手に新幹線、ローカル線、バスと乗り継ぎ、自分の足で歩きながら考える。
うんと前からグローバルに生き抜いてきたおじいちゃんのくれるアドバイスは?
また、旅の末に、彼のたどり着いたアイデンティティとは?
90歳を超えても遠い未来を見すえて、希望を語るおじいちゃんの物語、はじまり、はじまり。 |
おじいちゃんのしわの深さ、表情、そして、佇まいがすべてを物語っている。
日系人が歩み、乗り越えてきた長い長いストーリーを。
---- 宮沢和史(ミュージシャン) |
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<コメント>
一世紀を生き抜いてきた老移民がふりかえるみずからの姿。
日本に来て見て聞いて語る在日ブラジル人の姿。
そこに海外移住とデカセギの凝縮された生きざまを見る思いがした。
ブラジル移住百周年にふさわしい珠玉のドキュメンタリーである。
中牧弘允(国立民族学博物館教授)
80になっても、90になっても、いきがいを求め、
人々を愛し、自分は何者かと考え続ける。
「自分が決めたことだから」とブラジルでの苦難を耐え切った人の
老いの生きざまは、なお未来を向いてすがすがしい。
美しい笑顔を映像から、静かな感動と生きる力を頂いた。
堀田力(さわやか福祉財団)
栗原監督は感傷を誘う物語に訴えず
生きることの大切さを紺野さんから学び、人々に伝えようとする。
私たちよりずっと以前に国境を越えた状況を生き抜いてきた者の人生から、
学ぶべきことは数多くある。
ロベルト・マクスウェル(ジャーナリスト、ヴィデオ・アーチスト)
一世、二世は犠牲になった。三世の代になりブラジル国民となった」という何気ない紺野さんの言葉には、移民の苦闘史がしみ込んでいると思いました。その一端をブラジルで新聞記者をしているときに垣間見た私は、あの言葉に移民の誇りを感じました。
同じことが、デカセギにきているブラジル人にも起きる」とつぶやく紺野さん。胸に突き刺さる言葉でした。このドキュメンタリーは日本人にぜひ見てほしいと思います。
「人間は自分の生きている土地で尽くすべき。国のすべてがなくなれば、人類に尽くせばいい」という紺野さんの言葉は、グローバル化の本質を的確に表現しています。
栗原監督に心から拍手を送りたいと思います。
麻野涼(ノンフィクションライター)
紺野さんの言葉が深く響きました。幸せって何なのか、何のために働くのか、自分はどうなりたいのか、どんな風に人生を終わりたいのか、、、考えさせられています。
田中もも子(JICA兵庫 JICAプラザ兵庫担当)
おじいちゃんのしわの深さ、表情、そして、佇まいがすべてを物語っている。
日系人が歩み、乗り越えてきた長い長いストーリーを。
宮沢和史(ミュージシャン) |
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<プロフィール>
紺野堅一さん(主人公のおじいちゃん)
大正元年(1912年)、大阪府吹田市に半農半商の米屋の5男として生まれる。茨木中学校卒業後、上京し、夜学に通いながら出版社の見習いとして働く。 日本力行会の海外学校を経て、1931年(昭和6年)、神戸港からリオ丸でブラジルへ渡航。家庭奉公、パン屋の職人、農業、日本語教師など、11の職業を経験する。妻の照子さん(故人)との間に1男5女。現在、サンパウロ市に三女のルシア・尚子さん夫婦と共に暮らす。
栗原奈名子 監督
早稲田大学政経学部政治学科卒業。東京の出版社で働いた後、ニューヨークに居を移す。
ニューヨーク大学大学院パフォーマンス学科在学中にドキュメンタリー映画「ルッキング・フォー・フミコ」(93年)を制作。博士号を取得後、98年に大阪の国立民族学博物館で特別研究員として上方舞を研究するために、日本に滞在する。現在は関西とニューヨークを行き来しながら、映像の制作活動を行っている。
「ルッキング・フォー・フミコ」は、世界の数々の映画祭、大学、女性センター、美術館/博物館で上映、加えて海外のテレビでも放映され、日本の70年代の女性運動の歴史を世界に、若い世代に伝えた。国際交流基金、東京都女性財団、放送基金、NY芸術カウンシル、アストレア財団から助成を受けている。NY芸術財団フェロー。
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