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監督:加藤治代
出演:加藤直美/小林ふく 他
配給:「チーズとうじ虫」上映委員会 |
撮影:加藤治代/加藤直美/栗田昌徳/中嶋憲夫
整音:菊池信之/早川一馬/久世圭子
編曲:須賀太郎 |
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<解説>
母の看病のため群馬に帰省した加藤治代は、母親の病気が治ることを信じ、発病から3年「退屈しのぎに、あるいは遊びの道具として」カメラを廻しはじめた。限られた命を精一杯生きる母と、高齢の祖母との、3人の何気ない日々の交歓がカメラに収められていく。カメラは、母親の気丈な姿と笑顔を追い、それが闘病生活であることをまったく感じさせない。
元気な母親の姿に奇跡を信じた加藤は、映画美学校に通い始める。『阿賀に生きる』『花子』を監督した佐藤真のドキュメンタリーコースである。
しかし、癌は確実に母親の身体を蝕んでいく。苦痛を伴うときには、カメラを置き、介抱する。こうして、闘病生活ではなく、何気ない日常だけがカメラに収められた。
そして、最期の時を迎える。死を理解できない子供たち、背中を丸め、庭を眺める祖母。どこにでもある葬儀の風景からは、これが加藤家の特別な話ではないことを改めて感じさせる。身内の死は、誰にでも起こり得る。
母親の死後、映像作家ではなく、病気の母親を持つ一人の娘として撮影された映像が残された。加藤は、撮れなかったことの空白感から、思い出を辿る祖母と自身の心情を記録し続ける。編集された映像は、美学校のスカラシップ作品に選出、予算を得て、初めてプロの手が加えられた。菊池信之の整音である。
風が吹き、コスモスが揺れる。その繊細な音は、観る者にその場にいるかのような臨場感を与える。この菊池信之の手を経て、『チーズとうじ虫』が映画として完成するに至る。
本作が、世間に知れ渡ったのは、小川紳介賞と批評家連盟賞をダブル受賞した2005年山形国際ドキュメンタリー映画祭である。小川紳介賞は同映画祭の「アジア千波万波」部門のグランプリに当たる。コンペティションとは別に設けられたアジアの若手新鋭作家によるコンペ部門であり、日本の映像作家としては初めての受賞である。同映画祭は、この作品を「映画祭の収穫」であると評した。
その後、フランス・ナント三大陸映画祭ドキュメンタリー部門グランプリをはじめ、2006年度も各国の映画祭から招待が続く。映画祭で目にした海外の配給会社からも声が掛かり始めた。これらの評価は、一見、あまりに日本的、かつ個人的な映像でありながら、様々な垣根を超えて、共感できる普遍的な作品であることが証明された。 |
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「私が考え信じているのは、すべてはカオスである、すなわち、土、空気、水、火、などこれらの全体はカオスである。この全体は次第に塊になっていった。ちょうど牛乳のなかからチーズの塊ができ、そこからうじ虫があらわれてくるように、このうじ虫のように出現してくるものが天使たちなのだ。――メノッキオ」
――「チーズとうじ虫」カルロ・ギンズブルグ著 杉山光信訳 みすず書房 |
<カルロ・ギンズブルグ著「チーズとうじ虫」について>
イタリア出身の歴史家、カルロ・ギンズブルグが著した歴史書。現在、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で教える。著書に『ベナンダンティ―16-17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼』『夜の合戦―16~17世紀の魔術と農耕信仰』などがある。『チーズとうじ虫』の執筆に当たっては、古文書館の闇の中から、一介の粉挽き屋の生きたミクロコスモスを復元することに成功。農民のラディカリズムの伝統の中に息づく古くかつ新しい世界・生き方を伝えている。
メノッキオは、16世紀のイタリア・フリウリ地方に住む粉挽き屋。チーズからうじ虫が沸くという農民の生活実感を共有しつつも、そこに留めず、上記の言葉を以って、ローマ協会の協議である神による「無からの創造」に対置した。その異端のコスモロジー論は教皇庁から告訴され、カトリック側の対抗宗教改革の最盛期にあって、異端として抑圧されることとなる。結果、ニ度の裁判を経て焚刑にされた。
加藤治代監督の『チーズとうじ虫』は、本書とは直接関係はないが、本作の制作過程において、上記のメノッキオの言葉が、母親の死を受け入れようと苦悩する加藤治代にインスピレーションを与えたため、タイトルとして用いられた。 |
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<監督コメント>
激しい嘔吐、身体に出来た沢山のあざ、救急車、チューブから流れ出る緑色の胃液、肺が半分潰れた為に鳴る壊れたオカリナみたいな呼吸、口の中に生えた苔みたいな不思議な生き物、亡くなった直後の笑顔、亡骸をはこぶ病院の長い廊下、頭蓋骨の水色のしみ・・・。どれも生まれて初めて見るとても奇妙な光景でした。私はこの不思議で重い時間にカメラを持つ事なんて思いもつかなかった。
私は母が本当に苦しんでいる時、悲しんでいる時、そして死んで行く時、何一つ撮ることができませんでした。
母が病気になってから3年目に私はカメラを買いました。彼女が治る事を無邪気に信じていた私は、テレビや映画によくある"奇跡"を記録する事を夢見ていたのです。そして私は気まぐれに撮影を始めました。退屈しのぎに、あるいは遊びの道具として、それはよくある家族のよくあるホームビデオに他なりません。母が体調を維持する生活はとても平凡で苦痛を感じる程同じ事の繰り返しであり、私は奇跡という事件が起きる事を願いつつ、だらだらと撮影し続けました。でも一旦母の病状が悪化し、苦しんだり悲しんだりする段になると根性と無縁の私ですから、側にいて必死で見続ける事が精一杯で、カメラを持つ事など全くできませんでした。
母の死後、私は初めてある覚悟をもってカメラをまわしはじめました。なぜなら残された者は赤ちゃんの様に泣きながら、それでも前に這って行かなくてはいけません。そしてもしこの苦痛と重苦しい喪失感の中に、何か大切で優しい大きな意図を見つける事が出来なければ、どうしても私には母の死が納得できなかったのです。
私が撮る事が出来なかった沢山の悲しい出来事はある意味、私にとって撮る必要が無かったことかもしれません。なぜって私は今でも痛みを持ってその事をきちんと思い出す事ができるのですから。
それよりも、映像に記録していなければ記憶にさえ残らない様な、あの平凡で単調でそれでいて辛い母との時間が、ビデオを通して甘美で優しい普通の幸せに変わっていった事が、今は愛おしく感じられてならないのです。
<監督プロフィール>
加藤治代 Kato Haruyo
1966年生まれ。
群馬県太田市在住。多摩美術大学美術学部芸術学科卒業後、スチールカメラマンのアシスタントを経験。
劇団黒テントに2年間在籍後、母親の発病で帰郷。 |
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<コメント・記事>
2005年山形国際ドキュメンタリー映画祭 受賞コメント
小川紳介賞 審査員:村山匡一郎氏、ピンパカ・トゥイラ氏 コメント
「母親の死と向かい合った個人映画であるが、センチメンタルな感傷に陥ることなく対象との距離を保ちながら作品を巧みに構築しているのは素晴らしい。ポエムのように紡ぎだされた言葉と映像との組み合わせが見る者の視線を膨らませ、作者と対象との関係を超えた映画的な世界が紡ぎだされていく様は、初々しい新鮮な印象をもたらしてくれる。肉親の死という誰もが感傷的にならざるをえないにもかかわらず、感動は作品世界そのものから生み出される」
国際映画批評家連盟(FIPRESCI)賞
「『チーズとうじ虫』は多くの理由により印象深い作品だ。最も力強い感動を与え、心動かされないでは見れない映画である。加えて監督は、感性、スキルや知性で、記憶や心象、人生における芸術作品の場所についての大切な言葉を作り出している」
山形ドキュメンタリー映画祭 国際批評家連盟賞受賞時 新聞記事
斎藤敦子(国際批評家連盟賞審査員)氏コメント 2005年11月2日付け山形新聞より抜粋
「私たちが国際批評家連盟賞に選んだ加藤治代の『チーズとうじ虫』は、今年の映画祭の収穫の1本だった。歴史学者カルロ・ギンズブルグの著作名を冠した『チーズとうじ虫』は、癌で余命1、2年と宣告された母親の日常を娘の立場から映したものだ。しかし、ただの闘病記ではない。この映画で最も特徴的なのは“涙の欠如”だった。家でも病院でも葬式でも、誰も泣かない。涙の場面は一カットも出てこない。この作品は昨今流行の涙を大盤振る舞いする安易なメロドラマの行き方とは対極にあるのだ。
愛する者を失った痛みを涙などで表現しきれるはずはない。涙は時間がたてば乾くが、痛みは乾かないのだから。母親の死と喪失は、加藤治代というカオスの中で、ゆっくりと発酵され、ありふれた日常の透明な時間として再構築される。どの場面――家庭菜園を耕す母親、道端のコスモス、コンポストいっぱいに湧いたうじ虫――をとってみても、発酵の過程を経た、上等な上澄みになっていて、涙などという記号的な表現では適うはずもない、痛切な悲しみに満ちていた」
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