チョンおばさんのクニ

ひとりの老婦人が抱く故郷への断ち切れぬ思い。
ふたつのクニのはざまで揺れる数奇な運命

ビデオ/カラー/90分/2000年


<解説>
 1996年の秋、スタートしたばかりの私たちの中国戦争被害女性を支援する会に一通の手紙が届いた。中国湖南省双峰県郵便局職員からで、同県に韓国出身の戦争被害女性がいるということだった。「彼女は70才を過ぎた高齢で、しかもガンに罹っています。どうしても死ぬ前に50数年離れていた生まれ故郷を一度見てみたいと言う宿願があったのです。なんとかして生きているうちに一目生まれ育ったところを見せる事はできないだろうか。」と言う内容だった。

 その年の10月26日に彼女に会いに行った。彼女の家は都会から離れた静かな山村にあった。穏やかで、品のあるおばさんだった。話を聞くと、17才のとき、ある男に大田織物工場へ働きにいかないかと誘われ、家が貧しかったので、そのまま信じてついて行った。しかし、連れていかれたのは、ある海辺の施設だった。そこに一ヶ月くらい監禁され、日本の軍服姿の韓国人が現れて、中国の武漢市に強制的に連れて行かれたということだった。

 残り5ヵ月、限られた生命の時間で、彼女がこの百倍の時間をかけて思いつづける祖国を本当に見ることができるのだろうか。彼女はもうすでに、母国語・韓国語を話せ なくなっており、生まれ故郷の住所もはっきりと覚えていないのだ。1996年の年末、私は彼女が示した「カンキャンウプ」という村の名前を元に石の山を一軒一軒訪ねて、証人探しをした。最後に82才の老婦人が彼女の事を知り、証言してくれた。

 翌年の1997年の早春、彼女の韓国への“永住帰国”の入国許可が下りた。村を出るときに、300人ほどの山村の人々が全員爆竹を鳴らして、彼女を見送った。村人は皆泣いた。山村は煙と爆竹の音で満ちた。最後に彼女は『私は必ず戻ってきます。もし、韓国で死ぬようなことがあれば遺骨をこの村に埋めて!』という一言を残して、韓国へ旅立った。しかし、半世紀を越えて思い続けた故郷に、彼女の肉親は一人もおらず、昔の面影すらなかった。その後、帰国の事がマスコミに大きく報道されたことも手伝って、少女時代の親友、姉妹にも会えた。しかし、皆が歓迎してくれたとは言えなかった。ガンが進行し死ぬ前にまた中国に残した息子や孫に会いたいという彼女の希望はついに実現しなかった。
<監督紹介>
監督 班忠義(バン・チュンイ)

中国遼寧省撫順市出身。1987年来日。
上智大学・大学院を卒業後、中国残留婦人問題に取り組み、「曽おばさんの海」(朝日新聞社)を出版、第7回ノンフィクション朝日ジャーナル大賞を受賞する。
1995年、中国人元“慰安婦”を支援する会を発足。
96年、「近くて遠い祖国」(ゆまに書房)出版。
98年、雲南の子供たちの教育を支援する会発足。
99年、ドキュメンタリー映画『チョンおばさんのクニ』(シグロ製作)を監督。
06年9月に書籍「ガイサンシー《蓋山西》とその姉妹たち」(梨の木舎)を出版。
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