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<スタッフ>
製作・監督 : フォン・イェン(馮艶)
共同製作:チャン・ヤーシュエン(張亜)
撮影:フォン・イェン、フォン・ウェンヅ(馮文澤)
編集:フォン・イェン、マチュー・ヘスラー
音響設計:菊池信之
音響助手:高田伸也、早川一馬、熊谷悠
方言:ワン・インフェン(王銀芬)
ビエ・ファーウェン(別発文) |
宣伝:原田徹(スリーピン)
協力:シネマトリックス
特別協力:浅田義信、片岡和子、岐部明弘、肖菊芳、宋立水、西海裕子、牧野宏子、松岡環、王慧槿、藤居啓二
配給: ドキュメンタリー・ドリームセンター
配給協力: コミュニティシネマ支援センター
(C) ドキュメンタリー・ドリームセンター |
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<ストーリー>
長江のほとりで家族とつつましく暮らすお母さん、秉(ビン)愛(アイ)。
働き者の彼女にとって、育ち盛りの子どもたちを育て病弱な夫と連れ添うことは、滔々(とうとう)と流れる川のように十分な幸福だった。政府から降って来た移住命令によって、今の土地から離れなくてはならないなんて、なぜ? 平穏な生活が営まれるなか、小役人がときどき嵐のようにやってきては、甘い言葉や脅迫で一家を追い出しノルマを達成しようとする。学もコネもない秉愛は、理不尽には頑固でしか対抗できない。次第に一家は追い詰められていく……。
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<解説>
つぶされようと、人生には勝つ
若い頃 父親に言われて恋人と別れ、長江岸辺の一家にイヤイヤ嫁いだ秉愛。しかし長男昌文(チャンウェン)と長女霊芝(リンジ)を授かり、体が弱く頼りない夫熊雲建(ション・ユンジェン)との間にも愛情をはぐくむようになっていた。本作撮影の7年間で、子どもたちは成長し、秉愛の髪には白髪が見えても、顔には母親としての豊潤な落ち着きと自信が生まれていく。毎日の草取りと畑仕事、布靴を手で繕い倹約する日々。収穫の喜びや子どもとの会話、夢の話。そして傍らではいつも長江が堂々と流れ、そこには多くの船が行き交うのだった。まるで秉愛を次から次へと襲う試練や喜びのように……。
ダムの建設で川の水位が上昇するため、村では秉愛の家を含む海抜135メートル以下の家の住人は移住を勧告されていた。しかし秉愛は抵抗する。補償金をもらって街に移り住むのではなく、農地のあるここで暮らし続けたい……。国家の都合で自分の生き方を変えることに断固反対の姿勢を7年以上も貫き通すのだった。
「何としても生き抜く」「わたしは強情なのよ」と笑顔で言う彼女。この映画は、三峡ダムについてではなく、秉愛というひとりの平凡な中国女性の生き様の物語である。「自分が死んだ後、こう言われたい。“あの人は骨身を惜しまず、よく夫や子どもの面倒を見たね”――最高の褒め言葉よ」その大げさな言葉の背後には、中国内部の貧しい農村で尊厳をもって生きることの困難が浪々と湛えられている。
中国の栄光の陰で
三峡ダムは2009年に完成予定。2008年6月2日、オリンピックの聖火ランナー25人が、2309メートルという世界最大のダムの上を走った。たった18分のリレーだったが、「我々は100年かけてこの道のりを作ってきた」と三峡ダムの副所長は言う。1918年に孫文が構想した巨大ダムの完成が近づき、そして同様に中国の威信を賭けたオリンピックが2008年に開催。百年来の中国の夢が二つ、いま叶おうとしている。
一方、300億ドルの工事費をかけた国家プロジェクト三峡ダムは、140万人もの住まいと田畑の水没が代償だ。長江岸辺に暮らす農民が世界のメディアに注目されるのは移住前後の一時だが、国の決定は彼らの人生の中でどのような位置を占めるのか。
ジャーナリズムやマスコミが政治経済動向や社会現象としての中国現代社会を大きく捉える中、このドキュメンタリーはひとりの個人の生活に7年間寄り添い、その日常の現実を受け止めた。
ひとりっ子政策が貧しい農村の女性の心と体にどのような傷を残しているのか。村の会議と票決はどのように執り行われているのか。『長江にいきる』は、最も貧しいと言われる内陸部の農民の暮らしの現実と個人の生き様を見せてくれる。
ドキュメンタリー版『秋菊の物語』
近年 中国の現実を淡々と映し出す中国映画の現代性が高い評価を得ている。『長江哀歌』、『1978年、冬。』、『雲南の花嫁』などが好評だ。ドキュメンタリー映画も、瀋陽の巨大国営工場群が没落する姿をデジタル・ビデオで捉えた9時間の傑作『鉄西区』や、ベルリン国際映画祭の新人監督賞(ヴォルフガング・シュタウテ賞)を受賞した『水没の前に』など大型作品が山形国際ドキュメンタリー映画祭ほか世界の映画祭を席巻している。
劇的な変貌を遂げる現代の中国社会を映すリアリズム映画の系譜に、主人公から距離をとる観察型の視点が多い中、『長江にいきる』はひとりの平凡な農民女性の逆境との闘いに、一般観客が感情移入し心を寄せられる生き方をストレートに描く。いわゆる「肝っ玉かあさん」。これはかつて、コン・リーが『秋菊の物語』(チャン・イーモウ監督)で演じた農村の女性の奮闘劇のドキュメンタリー版である。
日本で学び世界へ
「久しぶりに人生という言葉を文学の中に見出し、高揚した。」(高樹のぶ子)
「ここには書きたいという意欲がある。」(池澤夏樹)「古めかしいともいえそうなリアリズムの作風」「荒削りではあっても、そこには書きたいこと、書かれねばならぬものが充満しているのを感じる。」(黒井千次)
これは2008年芥川賞の選評であるが、実存の切実さへの直球を投げた中国人の楊逸(ヤンイー)著『時が滲む朝』が、観念性や技巧に縮こまる今の日本文学界に大きな波紋を投げかけていると言える。
京都大学大学院で経済学を学び、博士課程まで終えた中国人のフォン・イェン監督の『長江にいきる』が山形国際ドキュメンタリー映画祭でアジア部門のグランプリ<小川紳介賞>を受賞したことと大きく重なって見える。1960〜80年代に三里塚闘争や山形の農民の映画を作ったドキュメンタリーの巨匠、小川紳介の名のついた賞を受賞したことは、フォン・イェンにとって特別の喜びだった。彼女は1993年に見た小川作品に受けた衝撃から自らドキュメンタリーを撮り始め、また小川紳介著『映画を穫る』を中国語に翻訳・出版までしている。長い留学生活に加え結婚・出産を経験した日本という外部と、小川紳介監督という先輩を得て、彼女はドキュメンタリー映画を通して母国中国を見つめている。
日本のベテラン音響マンとの出会い
第10回の山形国際ドキュメンタリー映画祭で、フォン・イェン監督は偶然ひとりの日本人と出会った。講師として招かれていた映画音響の菊池信之だった。
菊池氏は1970年代の小川プロダクションで映画人生をスタートし、その後フィクション、ドキュメンタリーを問わず数多くの映画音響を担当してきた。青山真治、河瀬直美、萩生田宏治、諏訪敦彦など日本の若手作家たちの仕事を支える重要な役どころを果たしてきた映画音響スタッフである。
菊池氏は山形映画祭で『長江にいきる』と出会い、フォン・イェンの次回作の音響を担当する約束を交わす。この縁のおかげで、『長江にいきる』は日本で一般公開されるこの機会に、菊池氏による新たなサウンドヴァージョンに衣替えする。
デジタルビデオやHi-8ビデオを使い、ほとんどひとりで撮影・録音して作った『長江にいきる』が、プロの参加を得てどのように生まれ変わるのか。音というもうひとつの物語を得て、長江のほとりの空間的広がり、秉愛の心の内面的広がりがどのように立ち上がるのか。それは日本を含む世界で数多く作られるデジタル・ビデオ映画の未来にとっても、重要な指針を秘めている。
秉愛の物語は続く
1995年に初めて出会った秉愛。最初は「カメラなんて置いて畑仕事を手伝って」と言うばかりで、撮影にはあまり協力してくれなかった彼女と、フォン・イェン監督は十年以上にわたる信頼と友情を築いていった。秉愛という女性に“ほれ込んだ”監督は、『長江にいきる』の完成後も、2008年春まで秉愛一家の撮影を続けてきた。
それはまさに今、編集の終盤を迎えようとしている新作ドキュメンタリーのためである。これは長江のほとりに住む4人の女性の10年史で、秉愛のその後の人生も描かれる。ある村の共産党幹部、華やかな美容師、そして頑固で独立心の強い老婆。年齢も境遇も異なる女性たちが三峡ダムによる移転に直面しどのように生活が変わっていったのか、そしてそのときどきの彼女たちの心の動きが、丁寧な撮影とフォン・イェン監督ならではの静かな眼差しで捉えられていく。この作品は2009年初春に完成予定である。
【三峡ダムについて】
長江(揚子江)は中国一の大河である。人々から「母なる川」として親しまれる一方、たびたび洪水を繰り返し、治水を目的とするダム工事が、今世紀初頭の孫文の時代より検討されてきた。1992年4月1日、第七次全国人民代表大会第五回会議でダム建設の計画が可決されて、実現に向けて動き始めた。長江で最も風光明媚な三つの峡谷がある場所に築かれることから、「三峡ダム」と命名された。貯水量393億立方メートル、発電能力1768万キロワットという世界最大のダムである。ダム湖の長さは湖北省の宜昌から重慶まで約600キロに及び、完成時、水深はかつての10メートル未満から110メートルになるため、沿岸地域に住む19の県と市の合計140万人が移住を余儀なくされた。
このダム建設にあたっては、生態系への影響を懸念する声や、「三国志」時代の史跡が水没することへの批判など、反対意見も強かったが、結局大型船が河口から2400キロ奥の重慶まで通れるようになること、世界最大の発電所が上海を初めとする沿岸部の諸都市に電力を供給できることなどの経済的メリットが優先され、このプロジェクトは承認された。
工期は三回に分かれ、段階ごとに水位は上昇。2003年に海抜135メートル、2006年に156メートル、ダム完成時期には海抜175メートルまであがる。水没予定地域に残されていた最後の住人たちが2008年7月に湖北省高陽を後にし、長年にわたる国家の壮大な移住計画は終了したと報道されている。
[参考:『匿されしアジア―ビデオジャーナリストの現場から』アジアプレス・インターナショナル編・風媒社、ロイター記事、ほか] |
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<コメント>
撮影のために、私は何度となく三峡地区を訪れている。それでもなお、フォン・イェンの『長江にいきる』には深い感動を覚えた。この映画は霧深い長江のほとりへと私を連れ戻してくれたばかりか、ビンアイという偉大な中国人女性に出会わせてくれたのだ。
何億という人々の心を動かした三峡ダム建設をめぐる出来事も、フォン・イェン監督の仕事がなければ、古新聞のネタの如く徐々に記憶から薄れていったかもしれない。百万人の生活に影響を及ぼした大変革も、『長江にいきる』がなければ、単なる官報上の一連の数字へと姿を変え、生命のこもった愛と痛みではなくなっていたかもしれない。
そういう意味で、『長江にいきる』は個人的な苦難を時代の変遷と結びつけた映画であり、権力と自由、生存の厳しさとの直面、生きる勇気を表現した映画である。ただの三峡についての映画ではない。急速な変化を背景とした、中国人の精神の歴史そのものだ。
ありがとうビンアイ、ありがとう馮艶監督。
ジャ・ジャンクー(映画監督『長江哀歌』『二十四城記(原題)』)
「愛」という言葉のみだりな使用はつつしみたいが、『長江にいきる』の素晴らしさは、そのショットのことごとくが「愛」を体現する被写体への「愛」からなっていることにある。
蓮實重彦(映画評論家)
吹きさらしの坂上の空き地で、小役人の饒舌に短く強く反駁するときの硬い表情。それと逆に、夜の教室に息子を訪ね、小遣いを手渡しながら語りかけるときの気遣いに満ちた顔。そして、川縁で、娘の頃のささやかな愛の思い出を吐露するときの笑顔。三峡ダム建設をめぐる映画は多々あるが、『長江にいきる』ほど深く、一人の女性の姿を掘り下げたものはない。そこから大地に根をおろした中国女性の、何ものにも屈しない心根が浮かびあがる。
上野昂志(映画評論家)
針仕事の手を片時も休めることのないまま、「私は何人もの命を奪った罪を背をっているのよ」と一人っ子政策の下での堕胎の経験を語るビンアイの表情は、突き抜けていた。土の上に立ち、体で働き、大いなる力に押しつぶされまいと全身で人生を耐えてきた彼女の顔に、巨大な「生」の威厳を見ない人はいないだろう。
西川美和(映画監督『ゆれる』『ディア・ドクター』)
<中国の国家官僚>vs<毅然とした農婦>の対決。美しい観察映画『長江にいきる』において、両者は互角の勝負だ。個人レベルで中国を見つめるドキュメンタリーが数多く発表される中でも、この作品はより多くの観客の心を動かす力強い一本である。息苦しい政府統括の下にある零細農家の生活の詳細な実態を、10年以上の歳月と愛情をもって描き出している。
[ロバート・クーラー] 評〜『バラエティ』誌より
何がいいのかというと、主人公に魅力があるのだ。役所の人間の前では語気荒く丁々発止の交渉をするが、家族のところにもどると実にか弱くナイーブなのである。こう書くと、彼女の魅力はうまく伝わらない。しかし作品を見ていると、厚顔と自省と羞恥の間をゆり動く彼女の映像から、魂の叫びが聞こえてくるのである。その叫びに私は涙した。
それは共感というような次元ではなく、もっと人間存在の根源的な、ここに確かに人間がいる、というような洗い清められた発見の感覚と、感動なのである。見ていて途中からは、主人公の秉愛が出てくるだけで泣けた。こういう映像を導きだしたのは監督の力量である。7年という歳月をかけた取材(交流)の厚さもそれを支えている。
[春田実] 評〜メールマガジンNEONEOより |
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<監督プロフィール>
フォン・イェン(馮 艶)
1962年天津生まれ。天津の大学で日本文学を学んだ後、日本に留学。1988年から13年間日本に滞在し、京都大学大学院経済学研究科博士課程で農業経済学を研究する。1993年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でドキュメンタリー映画作家小川紳介(1935〜1992)の語りを収録した『映画を穫る―ドキュメンタリーの至福を求めて』(山根貞男編集・筑摩書房)と出会い、触発されて中国語に翻訳し台湾で出版する。1994年、映像ジャーナリストの集団アジアプレス・インターナショナルに入り、写真とビデオ制作を学び、ドキュメンタリー製作を開始。学校に行けない子どもたちや、三峡ダムで水没する長江沿岸部など中国農村部の人々の暮らしを撮り続ける。
本作の原点とも言える『長江の夢』(1997, 85分)が初長編作品。山形国際ドキュメンタリー映画祭’97アジア千波万波、第22回台湾国際ドキュメンタリー祭(優秀記録賞)、香港国際映画祭1998などで上映された。現在三峡移民を描く一連の作品群の集大成となる『長江の女たち』(仮題)の編集中。
訳書には他に『ゆきゆきて、神軍』(原一男著)など。上述『映画を穫る』の改訂(簡体字)版が2008年に中国大陸でも出版され、売れ行き好調である。
2002年に帰国し、現在は北京・天津を生活の拠点とする。夫と娘の三人家族。
2005年昆明で開催された雲之南記録映像論壇での土本典昭作品上映の際の通訳や字幕翻訳、2008年北京で開催された「小川プロ回顧展」の通訳・翻訳・企画実施スタッフなど、今では現代日中ドキュメンタリー映画交流の要としても欠かせない人物となっている。 |
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