『よみがえる琉球芸能 江戸上り』
「浦添ようどれ 〜よみがえる古琉球」

200年以上にもわたって行われた『江戸上り』。 それは琉球の文化を披露する重要な機会でもあった。
『よみがえる琉球芸能 江戸上り』   
2011年/カラー/デジタルハイビジョン/69分
『江戸上り』公式サイト

「浦添ようどれ 〜よみがえる古琉球」  
2011年/カラー/デジタルハイビジョン/73分
『ようどれ』公式サイト
ドキュメンタリー映画
『よみがえる琉球芸能 江戸上り』

2011年/カラー/デジタルハイビジョン/69分

公式サイト

<スタッフ>
監修:田名真之 
製作:末吉真也、與那良則 
監督:本郷義明 
音楽:新垣雄 
ナレーター:国井雅比古

助成:文化芸術振興費補助金

<出演>
御座楽復元演奏研究会、又吉靜枝、比嘉悦子、新潮劇院、他

<作品概要>
200年以上にもわたって行われた『江戸上り』。 それは琉球の文化を披露する重要な機会でもあった。

一幅の絵巻からはじまった、近世琉球の文化復元。沖縄の伝統芸能のルーツを辿り、160年の時を超えスクリーンに蘇ります。 琉球王朝の芸能は、首里王府の滅亡とともに多くが命運を共にして失われていきました。しかしその後、多くの研究者により琉球の芸能、江戸上りなどが研究され、成果をあげています。今日でも、ルーツをさらに探り、失われた芸能の復元を試みる努力が進められ、知られざる王国の歴史も、解明されようとしています。 世界遺産である首里城をはじめ琉球王国遺産群が、沖縄を象徴する顔ならば、その心・その想いを伝えるものが、古式豊かな舞踊や坐学の芸能になるのではないでしょうか。様々な人々の努力によって蘇った「琉球芸能 江戸上り」。この映画を通して、文化の力強さや大切さを多くの人々、特に若い世代の方々に知ってもらいたいと願っています。

1609年(慶長14)、琉球は薩摩藩の侵攻によりその支配下に置かれた。琉球国王であった尚寧とその一行は駿府の家康公、江戸の秀忠公に謁見のため2000キロの旅にでることになる。その後琉球は、中国の冊封を受けると同時に、琉球国王が中国の冊封を受けて即位するたびに江戸へ「謝恩使」を派遣し、また徳川将軍の代替わりのたびに「慶賀使」を派遣した。この幕府への使者派遣を『江戸上り』という。 『江戸上り』は、江戸幕府と薩摩藩にとっても他国を支配する権威を象徴するものであり、琉球にとっては国の文化を披露する重要な機会であった。 使節団は、薩摩藩邸や江戸城内では御座楽(うざがく)の演奏や舞踊などの琉球芸能を披露した。琉球は古くから武力での外交を廃し、芸能文化の交流や貿易で国を栄えさせてきた。『江戸上り』はその芸能の粋を集め披露したものといえる。 1850年の最後の江戸上りから時を経た今、『江戸上り』の芸能の資料は乏しく、当時を描いた絵巻物や古くから残っている沖縄の音楽や舞踊、神事の舞、そして当時交流のあった中国に伝わる音楽などから紐解くしかない。様々な人々の手によって「御座楽(うざがく)」「琉躍(りゅうおどり)」そして「唐躍(とうおどり)」が復元され、2011年2月26日、実際に江戸(東京日本橋三越劇場)で舞台公演が果たされることとなった。まさに“160年ぶりの江戸上りの再現”そして"180年ぶりの絵巻の再現"である。 音楽・舞踊・衣装・小道具に至る江戸上り芸能の復元に懸ける人々の姿を縦軸に、琉球の歴史と文化を横軸に織り成しながら、琉球芸能の音と色を動(舞)で表すドキュメンタリー映画である。
 
映画
「浦添ようどれ 〜よみがえる古琉球」


2011年/カラー/デジタルハイビジョン/73分

公式サイト

<スタッフ> 
監修:宮城鷹夫 / 製作:末吉真也、與那良則 
監督:野村岳也 / 脚本:長浜あさみ 
撮影:與那良則 / 解説:津嘉山正種 
劇画:新里堅進 / 音楽:海勢頭豊 
企画:浦添ようどれ映画製作委員会、(株)シネマ沖縄
製作:(株)シネマ沖縄 製作協力:海燕社 
CG製作:(株)平山印刷


<作品概要>
琉球王国中山の最初の都といわれる浦添には、王城・浦添グスクと、王陵・浦添ようどれがあった。浦添ようどれは1261年に英祖王が築いたといわれ、1620年に、浦添按司家出身の尚寧王が改修し、尚寧王自身も葬られた。

浦添ようどれは、戦前国宝候補にあげられた幽玄な陵墓であったが、沖縄戦で完膚なきまでに破壊された。戦後琉球政府文化財保護委員会の手で二つの墓室の修復をしたが、外壁などは失われたままであった。

1989年、浦添ようどれは浦添グスクとともに国の史跡(浦添城跡)に指定された。これを受けて浦添市教育委員会では浦添城跡整備事業にとりくむこととなり、その第1期事業として浦添ようどれ発掘調査・復元作業が行われた。そんななかから、出土品を通していくつもの新たな事実が分ってきた。伝説と思われていたことが事実として裏づけられた、これまで茫漠たる霧の中にあったものがはっきりとした歴史的事実として浮び上がってきたのである。

「琉球国由来記」に(英祖王営之也)とあるように、13世紀英祖王代に確かに浦添ようどれは造営された。それは古い金属工房跡と瓦溜り、そして墓室内の様子から確認されたのである。また、1400年前後に、大改修されたことも新しい金属工房跡と、瓦溜り、石積み法、そして泉州産の石で出来た六基の石厨子の存在で分ってきた。それは、まことに興味深い発見であった。

しかし、この作品の意図するところは、浦添ようどれの発掘調査記録ではない。発掘調査によって様々なことが明るみに出てきた浦添ようどれを通して、沖縄史のなかで一番華やかで活気にみちたそして悲しみを秘めた古琉球といわれる時代を想い描きたいと考えている。琉球の夜明けともいうべき三山鼎立のグシク時代、尚巴志による琉球統一、華麗な王国を形成する第二尚王統の時代、そして薩摩藩の琉球入りによって日本の幕藩体制に組みこまれ、実質的な王国滅亡までを、考古学的事実ばかりでなく、祭事やおもろ、様々な古文書や絵画資料を駆使して時に劇画表現も交えて構築したい。

英祖王ではじまった古琉球は尚寧王で終る。換言すれば古琉球は浦添ようどれではじまり、浦添ようどれで終るのである。
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