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〈スタッフ〉
監修 宮城 鷹夫
三木 健
製作 與那 良則
末吉 真也
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脚本 内間 常喜
本永 良夫
脚本協力 嶋 津与志
野村 岳也 |
音楽監督 大山 伸子
撮影監督 上地 完道 |
企画/宮良長包映画製作推進委員会・株式会社シネマ沖縄
製作/シネマ沖縄・全農映沖縄・プロジェクトチーム
協力/石垣市・石垣市教育委員会
後援/沖縄県・沖縄県教育委員会・沖縄県文化協会・県内マスコミ各社 |
戦争によって音楽教師・宮良長包の世界はすべて消滅したかに見えた。
しかし、長包メロディーは民衆の心の中に生きていた。
長包の教育音楽と作曲活動から長包の魅力的な人間像と当時の沖縄の世相も浮かび上がってくる。
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<解説>
大正10年、38歳の時、宮良長包は音楽教育にかける情熱と力量が認められて沖縄県師範学校の音楽教師に迎えられる。
そして、次々と斬新な作品を生み出していく。
長包はまた、教え子たちと一緒に、「音楽の民衆化、音楽の郷土化」を懐き、全県各地に音楽行脚を展開した。
やがて長包メロディーは、新時代の人々の愛唱歌となって、沖縄中に広がった。
しかし、時代は次第に暗雲に覆われるようになり、軍国主義の足音が近づいてきた。
そんなときにも長包は、郷土音楽への信念を曲げることなく、この民謡調の作品を量産する。
戦後60年。
幻の大作といわれた「嵐の曲」の楽譜も発見された。
今、珠玉の長包メロディーを次の世代につなげていくことが求められている。
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