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<スタッフ>
監督 : 我謝京子
撮影 : 海老根務、上野志穂美、
中戸川育夫、大阪千夏、
三好拓朗、藤原広美、我謝京子、
清水司郎(8ミリ) |
製作 : 渡辺麻子 編集 : 櫛田尚代
音楽 : 寺尾のぞみ、マリアナ・ロゼット、
イェイツ・容子
デザイン : 飯塚修
協力 : ブルーワールド
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<ストーリー>
母が帽子をかぶせると、2歳の娘は鞄を手にとって「わたしはちょっと外国へ。」というのが口ぐせだった…
それから40年、娘は、ニューヨークで映画を作り始めた。きっかけは職場の同僚が書いたユダヤ人女性の罪悪感とうエッセイ集だった。その出版記念パーティーで、私の中にも「子供のころあれほどあこがれた外国なのに一方で日本を飛び出してしまった罪悪感」があることに気がついた。
そこで、この本の編集者と立ち話。「この本の日本女性版も面白いと思う」すると、彼女は即答。「だめだめ、全ページ白紙」つまり、彼女の目には、日本女性は、おとなしく主張しないと見えているのだ。
その瞬間、ここで黙っていたら女が廃る!日本女性の強さや主張がみえる作品を世界に向けて送り出そうと決心。NYに住む日本女性たちに話を聞き回った。「日本を出た理由」「罪悪感」「日米の働き方の違い」「子供と仕事の両立」。
彼女達の話は、親世代との比較につながり、聞き手の私の頭の中で、母と娘の姿がくっきりと見えてきた。
罪悪感から始まった映画は、母娘3世代に渡る映画へと成長していった。
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<プロフィール>
監督 我謝京子
1963年東京生まれ。
高校時代には、AFSでオレゴンに留学、大学3年でマサチューセッツ州立大学アマースト校に留学。1987年上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業、テレビ東京入社。報道記者となる。
1993年フルブライトジャーナリストとして米国留学中に娘アンナを出産。
帰国後は、外務省担当記者から特集記者、少子長命ドキュメンタリーディレクターとなる。2001年4月、ロイターに転職、ニューヨークに母指単身赴任。2001年9月11日、被災。2004年、フォーダム大学院教育学部卒業。
ようやく被災生活から立ち直ったのをきっかけに、長年の夢、自主製作映画に着手。月曜日から金曜日はロイターの経済報道記者、週末は、映画の取材と自宅での編集を重ね2009年、「母の道、娘の選択」が完成。ニューヨーク在住。
<上映に寄せて>
東日本大震災が起きた時、この映画の上映のために沖縄にいた。そして
津波警報が出て逃げている時、9.11を感じた。あの日、私は被災した。
テロ攻撃と自然災害はもちろん違う。しかし、被災者が生活と心を復興させるのに時間がかかることは似ている。
7回引っ越し、5年かけて生活を立て直した。そして心の復興のために、この映画を作り始めた。
途中何度もめげそうになり、苦しかったが、あきらめないで作り終えた。
だから今こそこの映画で、日本に住む人たちを励ましたい。あきらめなければ、大丈夫だということを。
映画には、9.11にあの場所から逃げた8歳の娘や日本で心配していた母がでてくる。
そして私の心の復興を支えてくれたニューヨークで頑張る女性たちがでてくる。
彼女達の心からの思いは、きっとあなたにも何かを語りかけてくると思う。 |
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