「涯てへの旅」

2008年春、自主制作映画の祖、高林陽一が又一つ新たな作品を生み出した。
2007/HD/72分 
(C)Takabayashi Yoichi

予告編@youtube

 公式サイト

〈出演〉
  高城ツヨシ   遠藤久仁子   木元としひこ   白石美樹
〈スタッフ〉
 企画・脚本・監督 高林陽一          撮影・編集 としおかたかお 
 録音 秋吉弘文              アシスタント 福田健太

―個人製作から撮影スタジオ、独立プロを50年生き抜いてきた
               伝説の映像作家が、デジタルビデオを手にした。―

<解説>
20代から精力的に実験映画作品を発表、多数の国際映画祭での受賞、日本人初のニューヨーク近代美術館所蔵等、輝かしい成果を残し、30代からATG、松竹、角川といったメジャーで作品を発表してきた伝説の監督、高林陽一。彼が70代になった今、デジタルビデオを使い、映像の新たな領域へと歩き続ける。舞台でもなく、映画でもない、ビデオというメディアを、如何にテレビ的呪縛から解き放つのかというテーマに挑んだ第2作目。本年春には第3作の撮影も開始する。

高林陽一は、自分自身の内面世界を、いつの時代も自由に、そして純粋に描き続けてきた。
 人間の誰にでもある生と死、心の闇を描く彼の作風にはとても不思議な力がある。
カメラという道具を介しているにもかかわらず、まるで道具のいらない詩人であるかのように表現する映像。そして映像以上に一つ一つに力がある言葉。それは、彼に対しての称賛、また逆に嫉み・非難の中でも振られることなく変わらず、自由に、そして純粋に表現し続けてきた強さから生まれてきたものなのだろう。
 人は人生の中で、とても多くのものを得て、それ以上の多くのものを失う。76年生き、50年以上もの間、映画を撮り続けてきた彼が感じた、喜び、悲しみ、孤独。人生という先の見えない旅の中で、彼が信じ続けてきたもの、そして今信じようとしているものが「涯てへの旅」には感じられる。
 本年77歳になる高林陽一が、「映画に対する想い」を自由に純粋に描いたこの作品を、世界を、理解しようとするのではなく、感じてほしい。

     
<ストーリー>
「僕は確かにこの風景を知っている。この浜を歩き、これと同じ情景を見た事がある…」  
唯一の肉親である祖母を捜し、父の生まれた海辺の町へとやってきた男。夢のような、幻のような記憶と現実の交錯する旅の中で、男は生きる術を知る。
高林さんはいま、もっとも幸福な形で映画を作られているのではないか!
<大林宣彦・映画監督>
<高林 陽一 コメント>
今の自分に出来ることは、少ないスタッフで分かり合える仲間(スタッフ、キャスト)とビデオで作品を作ること。1,2億の作品をフィルムで作り、上映することではありません。
決して予算が無いからビデオで撮ろうという訳ではありません。ビデオでしか表現できない作品があるのではないかと思うから作っているのです。勿論、フィルムは素晴らしいですし、残って欲しいです。ただ、ビデオは、フィルムと違って、400フィートという制限が無く回しっぱなしで60分取れる媒体なのだから、その特性を生かした撮り方があると思います。
そうすればビデオで撮られた「映画」が、フィルムで撮られた「映画」の”廉価版”と言われなくなるのではないでしょうか。
(2008年1月21日 高林談 京都にて)

     
<高林 陽一プロフィール>
高林 陽一(たかばやし よういち、1931年4月29日生まれ )
【主な監督作品】
『南無』『石ッころ』(イタリア・モンテカティーニ・アマチュア国際映画祭金賞、イタリア・サレルノ国際映画祭銀賞)
『京都』『砂』『むさしのいのち』『べんがら格子』
『すばらしい蒸気機関車』『餓鬼草紙』(カンヌ映画祭批評家週間参加、マンハイム国際映画祭グランプリ受賞)
『本陣殺人事件』『金閣寺』『往生安楽国』『西陣心中』
『蔵の中』『雪華葬刺し』(カンヌ国際映画祭監督週間出品)
『赤いスキャンダル・情事』『魂遊び ほうこう』『愛なくして』
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