ヒロシマナガサキ
WHITE LIGHT/ BLACK RAIN

被爆者14人の証言 勇気という名の希望
2007年/アメリカ/1時間26分/カラー

 予告編@youtube

〈スタッフ〉
監督 スティーヴン・オカザキ

配給 シグロ・ザジフィルムズ 
協力 岩波ホール・ANT-Hiroshima
特別推薦 日本原水爆被害者団体協議会
原題  “WHITE LIGHT/BLACK RAIN:
      The Destruction of Hiroshima and Nagasaki”


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<Production Note>
世界的な緊張が高まりつつあるなか、私たちが予想もしていなかった状況が生じてきました。それは、「核兵器による大量殺戮」が恐ろしいほど現実味を帯びてきたことです。アカデミー賞受賞監督であるスティーヴン・オカザキが製作した「ヒロシマナガサキ」は、原爆を生き延び、それにより人生を変えられてしまった人々と直接向き合い、核戦争の現実を見据えた作品です。

60年以上経過した今でも、原爆投下は人びとの議論や拒絶、俗説を引き起こしています。驚くことに、今や多くの人びとが、1945年8月6日と9日に何が起きて、あの2日間が世界を根底から変えてしまったという史実について、きちんと理解していないのです。この作品は、あの時そこに居合わせた人びとの視点を通して、原爆を包括的に、かつ分かりやすく描き出しています。

「ヒロシマナガサキ」は、14人の被爆者の証言と、実際に原爆投下に関与した4人のアメリカ人の証言を軸に、原爆の詳しい説明と、その後の出来事を描き出します。次々と続く個人の証言が、見る者の心を奪います。また、この映画は証言者たちの想像を絶する苦悩と同時に、人間の驚くべき生命力をも映し出しています。実に市民の85%が犠牲になった(広島では14万人,長崎では7万人)なかで、原爆で生き残った人々は、その後、放射線による障害や病気の苦しみを抱えています(その後の犠牲者数は16万人)。下平作江は当時10歳で被爆し、最後の肉親を失った時に自殺を考えたことを述べています。「二つの勇気があることに気づきました。一つは死ぬ勇気、もう一つは生き続ける勇気です。」

他にも様々な生存者の証言が続きます:居森清子は、爆心地から410メートルしか離れていない地点で被爆しました。清子は620名の生徒がいた小学校の唯一の生存者です。中沢啓治は、父と弟と姉を失いました。そしてその後は、自分の体験をマンガやアニメーションで人々に伝える人生を選択しました。肥田舜太郎は当時まだ若い軍医でした。原爆投下直後に現地に入り、生存者の治療にあたりました。60年後の今でも、被爆者の治療を続けています。永野悦子は、原爆が投下される数週間前に、自分の家族を長崎に来させたことを、未だに後悔しています。

穏やかで率直な態度が、証言者たちの話を忘れがたいものとしています。そして、彼らは核兵器の凄まじい破壊力を目撃してしまった苦しみを、未だに抱えているのです。被爆者の証言とともに、生存者が残した絵、原爆の記録フィルム、写真が映し出されます。なかには、今までほとんど使われたことのない史料も含まれています。そのなかの幾つかは、身体的損傷を受けた被害者の記録フィルムと、そのフィルムで紹介された本人たちの60年後の姿です。

スティーヴン・オカザキは、500人以上の被爆者と会い、そのうちの100人以上に取材をしました。そしてこの映画のため、14人の被爆者の証言を選びました。オカザキ監督にとって、被爆者の証言は『驚きと、衝撃、感動』に満ちていました。

HBOのドキュメンタリーフィルムである「ヒロシマナガサキ」は、原爆を伴う戦争が引き起こす人類の犠牲を詳述し、核兵器に対して強い警鐘を鳴らしています。今や広島に投下された原子爆弾の40万個分に匹敵する核兵器が存在する世界において、私たちは1945年の2日間に何が起きたかを、決して忘れてはならないのです。
<解説>
被爆者14人の証言 勇気という名の希望

本作は、アカデミー賞ドキュメンタリー映画賞に輝いたスティーヴン・オカザキ監督が、25年の歳月をかけて完成させた渾身のドキュメンタリー映画である。
広島、長崎の原爆投下から60余年を経た今、日本でも記憶が薄れつつあるが、アメリカをはじめ世界の多くの人々はいまだその被害の実態を知らず、被爆者の現実についてもほとんど知られていない。原爆の被害に対する認識と関心を、世界に呼び起こしたいと考えたオカザキ監督は、被爆者が高齢化していくなか、せきたてられるように日本を訪れ、実に500人以上の被爆者に会い、取材を重ねた。

14人の被爆者の証言と、実際の爆撃に関与した4人のアメリカ人の証言を軸に、貴重な記録映像や資料を交え、ヒロシマ・ナガサキの真実を包括的に描いた本作。被爆者の想像を絶する苦悩に向き合い、彼らの生きる勇気と尊厳を深く受け止め、私たち観る者を圧倒する。

今、作らなければ 今、伝えなければ
スティーヴン・オカザキ監督は1952年ロサンゼルス生まれの日系3世。英訳の「はだしのゲン」を読み広島、長崎の原爆投下に関心を深めたオカザキは、1981年に広島を初めて訪れ、被爆者を取材した第1作「生存者たち」(82)を発表。日系人強制収容所を描いた作品「待ちわびる日々」(91)でアカデミー賞ドキュメンタリー映画賞を受賞した。

アメリカでは原爆投下が「戦争を早期に終わらせ、日米両国民の命を救った」との認識が強い。オカザキ監督はヒロシマ・ナガサキの事実を伝え、核の脅威を世界に知らしめることを自分の役目と考えるようになる。
被爆から50年の1995年、米スミソニアン協会で開催される予定だった原爆展は日本側の期待も大きかった。しかし、米国内の猛反発で中止になり、展示にともなう彼の映画製作も突然中止になった。このことは彼に大きな精神的痛手を与えたが、それでも取材をあきらめることなく続け、胎内被爆の現実にも迫った中篇「マッシュルーム・クラブ」(05)は2005年アカデミー賞にノミネートされた。

そして2007年、アメリカHBOドキュメンタリーフィルムの援助により完成した「ヒロシマナガサキ」は彼のこれまでの映画人生のひとつの到達点ともいえる。

いつか来た道に、ふたたび戻らないために
現在、世界には広島に落とされた原子爆弾の40万個に相当する核兵器があるといわれる。また2001年9月11日の同時多発テロ以降、世界的緊張とともに核拡散の危機が急速に高まり、核兵器による大量殺戮が現実化する恐れも出てきた。

このような状況のなか、「ヒロシマナガサキ」は、2007年、広島に原爆が投下された日である8月6日に、全米にむけてテレビ放映され、アメリカのみならず世界中の人々に、広島、長崎で何が起きたかを知らしめ、核兵器の脅威に対して強い警鐘を鳴らした。
<監督プロフィール>
Steven Okazaki スティーヴン・オカザキ(監督・製作・編集)
1952年生まれ。アメリカ・カリフォルニア州ヴェニスで育つ。
サンフランシスコ州立大学の映画学科を1976年に卒業後、いくつもの(本人いわく“平凡な”)パンクバンドで音楽活動をする時期を経て、映画制作に真剣に取り組むようになった。アカデミー賞に3度ノミネート、うち一度はオスカーを受賞し、その他にも数多くの賞を受賞。現在は、妻と娘とともにカリフォルニア州バークレーに住む。

※作品歴など詳細は、オカザキ監督の製作会社Farallon Films のウェブサイトからもごらんいただけます。
http://www.farfilm.com/


監督の言葉
シンプルなもの
ドキュメンタリー映画とはシンプルなものです。良い物語、興味深い登場人物、そして物語をどのように語るかによって、観客と登場人物を結びつけることが出来るのです。そうした意味では、ドキュメンタリー映画と、一般の劇映画との違いはありません。

ですから、物語を語ることなく、メッセージをただ伝えるだけのドキュメンタリー映画を観ていると、苦痛を感じます。そうした作品では、あらゆる事柄 − つまり、物語の展開、登場人物、映画の見え方や様式など − は、メッセージを補強するために使われてしまいます。最初の5分間で、映画製作者の政治性、映画に出てくる誰がいい人物で誰が悪者か、あるいは、観客がどのように考えたり、感じたりすべきか、ということがすぐに判ってしまうのです。私はメッセージ映画には興味はありません。例え、それが良いメッセージを伝えるものであっても。

つい最近、ジョン・アルパート監督の『バクダッドER』というドキュメンタリー映画を観ました。イラクでアメリカが行った戦争の悲劇と無益さについて描いた力強い作品です。映画を製作する際の難しさについて質問された時、アルパート監督は、「自分たちはただカメラを持ち、目の前で何が起きているかを撮っただけだ」と言っています。もちろん、彼らはこの作業をすぐれた技術と繊細さで行いました。それがこの作品が持つ真の力であり、登場人物やアクションそのものに物語を語らせているのです。彼らは争いごとやドラマを創作する必要はありませんでした。そうしたことは、既に目の前にあったのです。

いままでに、広島と長崎の原爆投下に関するたくさんの映画が作られました。ほとんどがプロパガンダ映画であり、戦争や核兵器拡散に対する特定の政治的視点で描かれています。そうした映画は重要なメッセージを持っているかもしれませんが、私にとっては、魅力やインパクトに欠けています。なぜなら、映画製作者が、映画の登場人物や被爆者に自分たちの信条を証言させていて、登場人物たちが語りたいことを語らせていないからです。

私にとって、ヒロシマナガサキ以上に迫力があり、心をかき乱し、感動的な物語はありません。苦痛、葛藤、真実が、被爆者の言葉に、被爆者の表情や瞳の中に表れています。 彼らは核戦争の脅威を直に体験した人々なのです。この物語はあまりにも強烈なので、私たちが登場人物をありのままに率直に映し出すだけで、それぞれの人物からの反戦のメッセージが、おのずと、より深く個人的な方法でかもし出されるのです。


『ヒロシマナガサキ』には、ナレーションやコメント、学術的、政治的な解釈は一切ありません。あるのは、14人の被爆者(広島の6人、長崎の8人)の体験だけです。またこの映画には、広島への原爆投下に深く関与した4人のアメリカ人が登場します。これらの人々が、原爆投下の日にいったい何を見、何を感じたのか、そして原爆によって彼らの人生がどのように変わってしまったかについて語っています。

日本人の多くは、この物語を既に知っていると感じているかも知れません。しかし一般的には、被爆者の話は日本のメディアによって単純化され、感傷的な体験にされてきたように私は思うのです。被爆者はたいてい奇異な人々、もしくは特別な人々として映し出されています。しかしそれは事実でありません。だからこそ、彼らの体験した出来事には重要な意味があるのです。被爆者は私たちそのものなのです。私たちの母や父であり、姉妹や兄弟であり、友人や隣人なのです。彼らに起きたことは誰にでも起こりうることなのです。

私たちは現在、不確実な時代に生きています。核兵器の脅威は現実のものであり、恐怖に満ちています。今ほど被爆者の体験が重要な意味を持つ時代はないのです。
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