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〈出演〉
阿藤 快(男)
田村 勇馬(正一)
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遠藤 恵里奈(淳子)
下杉 一元(男の少年時代) |
松川 新(三ツ目の怪人)
洞口 依子(母親) |
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〈スタッフ〉
沖島 勲(監督/脚本)
山川 宗則(プロデューサー)
芦澤 明子(撮影)
石塚 誠(照明)
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鈴木 昭彦(録音)
黒川 通利(美術)
李 潤午(助監督)
佐野 久仁子(記録)
近藤 聖治(編集)
佐藤 敦紀(VFX) |
河野 顕子(ヘアメイク)
星 輝明(スタイリスト)
関根 虎洸(スチール)
宇波 拓(サウンド監修) |
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俺、映画屋だったから、一つだけ気になった…そこは…映画の廃墟とでもいうのか…画像が、ただの電波の破片になって、ゴミ溜めのように、集まっていた…あれは、本当に電波の山だった! --- 『一万年、後....。』シナリオより
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<あらすじ>
時は一万年後…、とある民家に突如、電光とともに一人の男(阿藤快)が立ちあらわれる。民家の住人である少年・正一(田村勇馬)やその妹・淳子(遠藤恵里奈)は自分たちの叔父だと名乗るその怪しい男の登場にも動じることなく、それも日常だと言わんばかりに受け入れる…というよりもほとんど気にもかけない。少年・正一との会話によって、男はいかに一万年後の世界が変わり果てたかを知っていく。
?嗚呼、そうは言っても、変わらないのは少年時代に大阪の親父の家で見かけたコケシ人形だよナ……え?これコケシって言うんじゃないの、何て名前なの????
日本はとっくに消滅して●●●という国になり、アメリカに至っては…もはや海上の一握の砂になっている?
…てッ…ちィ…みィ、むゅッ…きィ…きゃッ…ちィみィ…みひゃちィ…窓外を行き交う人喰い怪物!?偽札!!!電波的母親!!!!…一体なんなんだこれは!?
…しかし、電波や音波が飛び交う時間の狂った「一万年後」の部屋は次第に単に世界が変わったとすら言い切れない複雑な様相を呈しはじめ、男の存在を揺るがして行く…。
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<解説>
沖島勲 21世紀待望の新作!『一万年、後....。』
『一万年、後…。』は前作『YYK論争 永遠の“誤解”』に引き続き、Y・Y・Kプロダクション企画・製作による8年ぶりの沖島勲の新作。そして劇場映画5作目にして初のデジタルビデオ撮影による映画作品である。
今作は、少人数の役者とほぼスタジオワンセットのみで撮影しきるという極めてミニマルかつ野心的な試みがなされている。初監督作『ニュー・ジャック・アンド・ヴェティ(モダン夫婦生活讀本)』や『YYK論争 永遠の“誤解”』に見ることの出来る閉じた空間とそこで演じられる人間たちの不条理な喜劇性の炸裂といった特徴がより徹底され、『まんが日本昔ばなし』の脚本家にふさわしい壮大な宇宙観が表現されるなど、まさに沖島勲の集大成といえるのが本作品である。
また、「電波映画!!」と銘打つにふさわしく「映像」は、フィルムにこだわり続けた「未だ携帯電話も持っていない」活動屋・沖島勲がデジタル撮影を選択し、『UN loved』(万田邦敏監督)や『LOFT』『叫』(黒沢清監督)などで活躍中の芦澤明子が撮影を担当。劇中に流れる「音像」は、実験音楽レーベルhibari musicを主宰し、即興演奏家として世界各国の音楽家と多数共演、近頃では自身がコ ンポーズを手掛けるバンド・ホースの1stCDがUNKNOWNMIXよりリリースされたばかりである気鋭の音楽家・宇波拓によるもの。映画の物語内容のみならず、これらのスタッフとともに映画の「映像」と「音像」の形式にも果敢に取り組む今作は、世代やジャンルを横断、逸脱、横転、脱線、衝突を繰り返しながら、あたかも「まんが日本昔ばなし」+「電波映画!!」とでもいうしかない見果てぬ領野に我々を連れ去ってしまう…そんな摩訶不思議な沖島ワールドが炸裂している。いったい何なんだ、これは!?
阿藤快、初主演映画!!
『一万年、後....。』は、『殺人遊戯』や『影武者』などの映画で個性派俳優として知られ、また「ぶらり 途中下車の旅」の旅人役など、お茶の間でもお馴染み阿藤快堂々たる初主演作である。「この作品(『一万年、後....。』)はピカソと一緒、100年経たないと誰も理解しないよ(笑)」と笑う阿藤ではあるが、電波の狂いで一万年後の世界にやってきた“伯父さん”という珍妙な役を「これしかない!」という見事さで演じ切っている。『一万年、後....。』の舞台となる一万年後の一軒家のセットはそれらしい自然らしさを感じさせるよりも、ほとんど『YYK論争 永遠の“誤解”』の劇中劇さながらの人工的な書き割りの舞台セットのような作りとなっており、阿藤は荒唐無稽な物語のなかで、まるで舞台役者のドキュメンタリーを見ているかのようなライブな演技を垣間見せる。
“甥”と“姪”を演じるのはフレッシュな二人?田村勇馬と遠藤絵里奈が真っ向から“伯父さん”阿藤快と渡り合い、そして“母”(“甥”と“姪”の二人からすれば曾々々々…婆さんというべきか)洞口依子がハッとする登場の仕方で映画にいきなり「あの世」を導入する。『したくて、したくて、たまらない、女。』『YYK論争 永遠の“誤解”』から三作連続出演となる沖島作品常連の松川新に至っては「この世」も「あの世」もどうでもよくなる身も蓋もない登場の仕方で、ただただ観る者を唖然とさせて風とともに去っていく…。
限定された舞台、限られた役者が織りなす表現は、巷に蔓延するそれらしいナチュラルさを装ったリアルさ信奉を、木っ端みじんに粉砕し、世界に穴ぼこを次々とあけながら笑い飛ばしていく。
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<監督紹介>
沖島 勲(おきしま いさお)
1940年生まれ。日本大学芸術学部映画学科在学中より足立正生らと『椀』、『鎖陰』を製作。若松孝二や吉田喜重の助監督を務める。若松プロから『ニュー・ジャック・アンド・ヴェティ』(1969)で監督デビュー後、TVアニメ『まんが日本昔ばなし』のメインシナリオライターとして約1400本の脚本を担当。他、『出張』(1989)、『したくて、したくて、たまらない、女』(1996)、『YYK論争 永遠の“誤解”』(1999)と監督映画は寡作ながら、いずれも独特の異彩をはなち、2005年に全映画作品4本をまとめたDVD-BOXが『沖島勲全集』としてリリースされている。 |
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<コメント>
ギャグとブラックユーモアに溢れた“沖島節”の全開した映画である。星新一と筒井康隆を足して歪めた教育童話なので、見ているうちに常識そのものが歪み始めるので、気をつける必要がある。
足立正生(映画監督)
大事な仲間にめぐり会えたような映画です。せまい少年の一室で、時を止めて、空間を広げて、今まで見聞きしていたものの正体が、はっきり見えてくる心地よさに、にんまりしてしまいます。
最後の「ゴンドラの唄」は胸が熱くなりました。
市原悦子(女優)
「あの世」は表象不可能であり、考えることも出来ない。だが、「一万年後」についてなら我々はかろうじて考えることが出来る。かつて沖島勳は「あの世をこの世に導入する」と言った。『一万年、後‥‥。』で彼は本気でそれに着手した。表象不可能なものが本当に画面に登場する。まるでウソのように、あっけらかんと。
高橋洋(映画監督、脚本家) |
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