怒る西行

沖島勲監督最新作「怒る西行」上映決定!
前作「一万年、後・・・.。」とのカップリングも実現!

2009年/97分/DV撮影/YYKプロダクション制作

公式サイト

『怒る西行』、『一万年、後….。』の公開にあわせて沖島勲が語る「沖島ラジオ」を開設しました。
 「沖島ラジオ」
<スタッフ>
出演・演出 沖島勲

撮影 四宮秀俊
録音 川井崇満
出演・編集 石山友美

制作進行 鈴木紳介
<解説>
玉川上水の久我山から井の頭公園に至る沿道は沖島監督自身長年散歩道として歩いてきた道である。その道の一部が東京都が推し進める放射五号道路建設計画に伴い、壊されていくことを知った沖島監督がその風景を記録に残そうとしたのがこの映画の始まりである。
その道を歩きながら、風景が変わっていくことに対する想いを静かに語る沖島監督。東京の街について「冗談みたいな風景」と話す、あまりに簡単に変わり果てていく現代の風景に対する警鐘、しかし、沖島監督の語り口はそこに留まらず、モーリス・ド・ブラマンクや谷内六郎、西行法師、村上春樹、横尾忠則、つげ義春、若桑みどり、サンドロ・ボッティチェリなど様々な作家たちへの想い、更に自身の幼少期の体験から、沿道を吹きぬける風にまで飛翔していく。
『ニュー・ジャック・アンド・ヴェティ』(1969)から『一万年、後....。』(2007)まで常に沖島作品の根底にある独特の時空間の感覚はこのドキュメント映画にも健在である。沖島監督が古い民家を「子供の目線で」みつめながら「時間飛びますよ、これ見てると僕なんかは」と語り、西行法師の話を引き合いに「まだね、時代をリセットできるんじゃないか・・・つまり人間が住む以前にまだ戻せるんじゃないかって・・・」と語るとき、「ただ、ただ」散歩をしているだけの映画のはずが、観ている者たちの時空間までが歪みはじめ、現代の風景が沖島監督の子供時代から平安時代まで縦横無尽に浮遊し始める。
監督作品6作目にして初の自作出演映画となった今作は、寡作の作家でありながら、新作を発表するごとに映画界を震撼させてきた沖島勲を知る上で欠かせない教科書のような映画なのだ!


<コメント>
緑に包まれ 風の声を聴く。心の琴線に触れる散歩道でした。
安藤忠雄(建築家)

これは哲学映画?、いや、映画哲学??
一万年、後……の先に流れていたのは、なんと玉川上水だった!!
井の頭の長閑な散歩道に、ふと宇宙の深淵がその虚空を開く。
時空を超えた壮大な思想の渦、そして思わず脱力する渾身の駄洒落!!!
ただ沖島監督が女の子とぶらぶら話しながら歩いてるだけの映画が、どうしてこれほどまでに刺激的なのか?
映画史上ついぞなかった、エクスペリメンタルかつアンビエントなロードムービーが、遂に登場した。
佐々木敦(批評家)   

吉祥寺に一万年は住み続けたであろう沖島監督の「これでいーのだ」という覚悟を、孫のような、否、妻のような視線で見守り続ける女性の姿がまるでバカボンのママに見えてしまったことを僕は否定したくない。その理由はラストのダジャレを聞けば、きっと分かってもらえるはず。腰、抜けました。
松江哲明 (映画監督)
         
<監督メッセージ>
緑の中を吹く風に問うたもの・・・・・・。
とにかく、自然に作られた映画です。
五年半勤めた熊本の大学を辞めたのが、’07年の3月。’08年の11月には若いスタッフの前でこの企画について口にし、協力を依頼している。一年半の空白の後、又、ソロソロ、講義でもしたくなったかと思われると恥ずかしいが、そう云う気持ちがゼロではなかったにしろ、私は在学中にやっておきたいと思い、結局面倒臭くって止めてしまった“講義録”を残しておきたいと思っていたのだ。
私が教えていたのは勿論、基本的には映画・映像だが、そこからはみ出したものが随分多かった。と云うよりも、表現の基本、その欲求の根元になるようなものを、自分の個人的な体験を交えて話すことが多かった。その講義録を、映像でやってしまえと、思ったのである。
そうすると極く自然に玉川上水添いの散歩道という“場所”に結びついた。
私はかれこれ40年近く、井の頭線・久我山駅近くに住んでおり、今は世田谷区だが玉川上水には今迄で一番近い。この場所に住んで既に20年になる。今回歩いた井の頭公園へ至る道は、片道一時間半はかかるから、そんなにしょっちゅう歩くわけではないが・・・・・歩く度に、自然と人間(人工物)との“童話的”とでも呼ぶしかない、不思議な絡み合いを感じる場所だ。
ところで皆さんは、例えば自分の立っている“時代”と言ったものを、そのように感じていますか?堅固で、リアリティの有するものとして感じていますか?
私には近年、それがドンドン溶解して行っているように思えてならないのです。その時−我々と云う不思議な生物(自然)は何をとっかかりにして生存して行けば良いのか・・・・新緑の中を吹き渡る風の中に、そのような問いを発したのです。
−− 沖島勲
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