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監督・脚本・主演:マリナ・ドゥ・ヴァン(『海をみる』『ホームドラマ』)
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出演:ローラン・リュカ(『ポーラX』『誰がバンビを殺したの?』)
レア・ドリュッケール(『パリの確率』『女はみんな生きている』) |
配給:アップリンク
宣伝:樂舎
協力:ユニフランス東京 |
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[物語]
30歳になるエステルの人生は好調だった。恋人ヴァンサンとの新生活を控え、仕事では副部長に昇進。すべてがうまくいくように思えたが、ある日パーティに出席したエステルは転んで足にケガをしてしまう。そのことがきっかけとなり、彼女は自分の傷に対する抑えきれない好奇心に初めて気付くことに。やがて彼女は、恋人の嫌悪をよそに、自らの肉体を痛めつける欲望に溺れていく・・・。
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あなたはこの衝撃を正視出来ますか?フランス公開時ブニュエル、クローネンバーグと比較され、賛否両論を巻き起した問題作!
仕事も順調、恋人ともうまくいっている主人公エステル(マリナ監督が自演)は、パーティー会場での足の怪我がきっかけとなり自分の皮膚に対して異常なほどの好奇心を持ちはじめる。自らの肉体を傷つけ始める彼女の自傷行為は、観客の記憶の中に眠る自身の傷の痛みを呼び覚まし、インタラクティブな痛み与えることとなる。リストカットどころかボディカットへとエスカレートしていく彼女の自傷行為を最後まで観終わった観客は、「?!!!」と言葉に出来ない激しい衝撃を受けて放心状態に落ち入ること必至の問題作。
フランソワ・オゾンのクリエイティヴ・パートナー、マリナ・
ドゥ・ヴァン監督待望の長編デビュー!
監督のマリナ・ドゥ・ヴァン(1971年生まれ)は、『8人の女たち』『まぼろし』でフランソワ・オゾン監督と共に脚本を担当し、前者でオゾン監督と共にセザール賞にノミネートされた才女。一方、同じくオゾン監督の『海をみる』『ホームドラマ』では女優としてのただならぬ存在感を見せつけた。
フェミス(国立映画学校)で監督した5本の短編映画では、フランス映画界のみならず国際映画祭での注目を集め、本作で念願の長編監督デビューを果している。
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ブニュエルに匹敵する監督のデビュー。エステルという人物は、『ガーゴイル』に登場するドラキュラのマゾヒスティック・ヴァ−ジョンである。しかし、クレール・ドゥニと比べ、マリナ・ドゥ・ヴァンは審美に逃避することなく、独自の表現を展開している。
--(LES INROCKUPTIBLES/Phillipe
Azoury)
まるでフリスビーのように持ち主から離れてしまった、神秘的で突然変異的な肉体についての作品。ある意味、クローネンバーグに影響されたファンタジー映画である。
--(TELERAMA/Louis Guichard)
この映画の最も素晴らしい点は、独立した体と社会的な体が対立しているという点、そしてこの映画の内なる嫌悪感が、人間という生き物の持つ許容範囲と精神の病との間で対立しているという点にある。
--LE MONDE (Jacques Mandelbaum)
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[マリナ・ドゥ・ヴァン監督コメント]
私は8歳の時、自動車に足を轢かれました。その時は不思議とひどく取り乱したり、痛みも感じませんでした。私は自分の足をあたかも別の物体のように、ゆがんだ物として見ていて、怪我をしても目に見えるものとしか映りませんでした。母が見せてくれたレントゲン写真によれば、骨の一部がなくなって、その砕けた部分はゴミ箱に捨てられたことを聞きました。このことが私の中にある身体への風変わりな印象をより一層深めていったのです。私の一部が破れた服のようにゴミ箱に捨てられた。やがて学校でも私の傷跡は遊びの種になりました。皮膚に感覚が無くなっていたので友達と傷跡に針を刺して面白がっていました。
自らの身体に傷をつけることは、その時その瞬間、あるいはその時の感情と結び付くための強烈で初歩的なやり方で、その苦痛を通じて、私は私の身体を再び自分に取り戻してゆくのです。
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ご注意:この映画には、自傷シーンが克明に描かれておりますので、予めご了承の上ご覧下さい。 |