ナスカ・青い少女のミイラ

第21回国際考古学映画祭 グランプリ受賞
2010年/HDV/カラー53分

<スタッフ>
監督 : 中村 稔

プロデューサー : 金丸尚志 天野裕士

監修 Docter Giuseppe Orefici

ナレーター 菅生隆之

撮影 中村 稔 矢口信男 岡本 亮 矢吹啓二
音声 小倉正巳 幸田 徹
編集 福栄臣朗
音楽効果 山村幸男
CG製作 小林岳史
オンライン編集 木野内幸浩
整音 井田須美子
HP制作・宣伝美術 イデアクエスト

協力 ペルー文化庁
   アントニーニ・ナスカ博物館

制作協力 日本語版制作委員会(記録社内)

製作・著作: TBS TBSビジョン 記録社
配給: 記録社


<ストーリー>
1939年6月22日、アメリカの考古学者ポール・コソックが、南米大陸太平洋岸にあるナスカ砂漠の上空で発見した、巨大な地上絵。
いったい誰が、いつ、何のために描いたのか・・・。

以来半世紀以上、世界中の多くの学者が謎に挑んできたが、判明したことは、古代ナスカ人が、紀元1年の頃から描き始めたことだけである。
なぜ、上空からしか視認できないほど巨大な地上絵を彼らは描いたのか、その目的は、まったく謎に包まれたままであった。

 ところが21世紀に入り、ナスカ砂漠の南に位置する砂山から、ピラミッドを掘りだした人物がいる。ローマ大学の教授であり南米考古学の世界的権威でもあるジュゼッペ・オレフシッチ博士だ。
博士は26年間ナスカ文化を調査してきた。その結果、ピラミッドは神殿であり、周辺諸国から多くの巡礼が訪れてきていたことを解読した。
しかし、巨大な地上絵やピラミッドを築く高い技術を持つナスカだが、いまだ王の墓も貴族の住居も、国境も戦争の痕跡も発見されていないのだ。

 だが2009年、ピラミッドから青い化粧を施された少女のミイラを発掘した。
このミイラの出現により、ピラミッドの時代と交代するように地上絵が描かれていたことが明らかになった。
なぜピラミッドから、柱や壁のない地上絵という神殿に変移しなければならなかったのか・・・。そのことと王の墓や国境がなかったこととも関係があるのだろうか・・・。
  博士の調査と発掘を追いながら、その謎を紐解いてゆく。



<監督コメント>

歴史が、物語っていること・・・  監督 中村 稔
 そのミイラが包まれていた黒い布の塊を発見したのは、忘れもしない2009年8月18日。いつもは凪になる夕刻に、なぜか強風が吹き荒れていた日だった。
オレフィッチ考古学博士とドルシーニ法医人類学博士とともに、その黒い布の塊を開くと、装飾品にまみれた青い化粧をしたミイラが現われた。が、翌朝ミイラの顔は化粧ごと粉々に崩壊し、あとには頭蓋骨しか残っていなかった。
何が起こったのか、ドルシーニ博士に尋ねると、
「ミイラの顔は、土化していたため、崩れ落ちたのです」と無機質なことを、なぜか無機質な口調で答えてきた。
私が知りたかったのは、なぜ2009年の8月18日に、このミイラは私たちの前に現れ、わずか1日で、私たちの前から消えていったのか、そのことだった。

その後のドルシーニ法医人類学博士の調査で、ミイラはわずか15歳の少女でありながら、障害者であり神官であったことが判明した。さらに彼女が埋葬された時期が、ピラミッドから地上絵へ神殿を変移したことと深くかかわっていた可能性が見えてきた。

オレフッチ考古学博士は、これらのデータに、ピラミッド発掘データを重ね、
「ピラミッドは、迷路のように狭い通路を張り巡らした神殿で、一筆書きの地上絵と似ているのです。つまり、ピラミッドでは不透明にならざるを得ない何かが生じ、柱も壁もない神殿が必要になったのではないでしょうか」と、仮説を立てた。
そうなのだ。今の世だからこそ、少女の神官は私たちの前に現れ、そして今を強調するがゆえに、消えていったのだ・・・。
この地球には歴史の様々な瞬間が無限に埋もれている。その一つが予期できない腫物のように突然現れるのは、こうした意味があるからではないだろうか。