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〈出演〉
マリアム・サイード
ワディー・サイード
ナジュラ・サイード
ジーン・サイード・マクディスィ
(以上、サイード家親族) |
ダニエル・バレンボイム(指揮者・ピアニスト)
ノーム・チョムスキー(言語学・政治哲学)
アズミ・ビシャーラ(パレスチナ系イスラエル国会議員)
ミシェル・ワルシャウスキー(人権活動家)
イリヤース・フーリー(小説家)
イラン・パペ(ハイファ大 パレスチナ現代政治史)
ギル・アニジャール(コロンビア大 中東言語文化学)
ゴーリ・ビスワナサン(コロンビア大 比較文学)ほか |
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〈スタッフ〉
監督 佐藤 真
企画・製作 山上徹二郎
協力プロデューサー ジャン・ユンカーマン
撮影
大津幸四郎 栗原朗 佐藤真
整音 弦巻 裕
編集 秦 岳志
翻訳・監修 中野真紀子
助監督 ナジーブ・エルカシュ 屋山
久美子 石田優子
プロダクションマネージャー 佐々木正明
協力 臼杵陽 鵜飼哲 錦田愛子ほか
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音楽
ダニエル・バレンボイム演奏
シューベルト 即興曲 変イ長調 作品142-2(D.935, No.2)
デュオ・エスペラント 「Strings of Hope (パレスチナ・イスラエルの若手音楽家による共演集)」より
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2003年9月、パレスチナ出身の世界的知識人、エドワード・サイードが亡くなった。
世界の核心に迫ろうとしていたサイードの、精神の在処を求めて映画の旅は始まった。 シリア、レバノン、エジプト、イスラエル、パレスチナそしてニューヨーク…。
最後に辿り着いたのはOUT OF PLACEという地平だった。
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<あらすじ>
2003年9月、パレスチナ出身の世界的な知識人でありパレスチナ人であるエドワード・サイードが亡くなった。
後半生を過ごしたニューヨークでもなく、生誕の地であるエルサレムでもないレバノンのブルンマーナに、2004年春、サイードの墓は作られた。
彼の複雑な背景を物語るその墓所のエピソードから、映画は始まる。
荒れ狂う濁流のように歴史の中を流されるパレスチナの土地と人々の暮らし。周辺のアラブの国々で難民として暮らすパレスチナの人々。
他方、ディアスポラとして長年迫害の歴史を生きてきたユダヤ人達。世界中からイスラエルに帰還してきたそのユダヤ人達が抱える、被害と加害の混在する深い矛盾。
エドワード・サイードの遺志と記憶をめぐる旅は、イスラエル・アラブ双方の知識人達の証言を道標に、サイードが求め続けた和解と共生の地平を探る。 |
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<エドワード・サイード プロフィール>
1935年イギリス委任統治下のエルサレムに生まれる。
父の事業のためにカイロで育ち、15歳で渡米。後にコロンビア大学英文学教授。
比較文学の世界で重要な著作を数多く発表する一方、文学批評家としても世界的に知られる。また、パレスチナ問題の代表的な論客として注目を集め、右傾化するアメリカの言論界において、妨害・迫害にもかかわらず勇気ある発言を続けた。
2003年9月25日白血病に倒れる。享年67。
主著『オリエンタリズム』『パレスチナとは何か』『文化と帝国主義』『知識人とは何か』『遠い場所の記憶--自伝』(Out
Of Place : A Memoir)『バレンボイム/サイード 音楽と社会』など。 |
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映画はエドワードの人生を思索的に探りながら、ゆっくりとエドワードが棲んだ世界に観客をいざないます。エドワードは出てこないのに、映画の隅々までエドワードの存在に満ちあふれている...。そのようなしかけを通じて、彼の思想や、彼の国および民の物語が、見事に浮かび上がっています。 ------ マリアム・C・サイード |
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<監督の言葉>
パレスチナという巨大な問題の底知れぬ奥深さに恐れおののきながら、サイードのテキストだけを指針に中東諸国を旅して廻った。永遠に失われたパレスチナでのサイード一家の痕跡を描いた自伝「OUT
OF PLACE」を、将来に向けた共生の夢物語として読みかえられないかと願って、旅を続け、多くの人々と出会った。
故郷を奪われたパレスチナ難民も、様々なディスポアラ体験の末にイスラエルに辿りついたユダヤ人も、境界線上に生きていることには変わりがない。その不安定で揺れ続けるアイデンティティを大らかに受けとめようとする人々を通してなら、そこにサイードが終生希望を託そうとした未来が見えると思った。「OUT
OF PLACE」であることは、あらゆる呪縛と制度を乗り越える未来への指針なのかもしれない。 ----- 監督 佐藤真
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