六ヶ所村ラプソディー


核燃の大地に咲く花 ここに私たちの暮らしがある。

 公式サイト

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〈スタッフ〉
監督: 鎌仲ひとみ

プロデューサー: 小泉修吉

撮影: 大野夏郎、松井孝行、フランク・ベターツビィ

音楽: 津軽三味線奏者 倭(やまと)
      〔小山内薫、永村幸治、柴田雅人〕
    ハリー・ウィリアムソン
編集: 松田美子
助監督: 河合樹香
上映配給: 巌本和道
編集スタジオ: ネオ P&T
録音スタジオ: 東京テレビセンター

支援: 文化庁

製作・配給: グループ現代
<ストーリー>
2004年、六ヶ所村に原発で使った燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場が完成した。
この工場の風下には豊かな農業地帯が広がっている。菊川さんは12年前からチューリップ祭りを開催し、再処理計画に反対し、くらしに根ざした運動を実践している。
隣接した村々で農業を営む人々、特に有機や無農薬で安心、安全な作物を作ってきた農家もまたこの計画を止めたいと活動している。
一方、六ヶ所村の漁村、泊では職を失った漁師の雇用問題が深刻だ。村はすでに再処理を受け入れ、経済的にも雇用の面でも必要だという考えが行き渡っている。
2005年、イギリスの再処理工場で事故が起きた。取材で見えてきたのは事故の影響よりも、44年間日常的に放出されてきた放射性物質の行方だった。
圧倒的な力と経済力に、普通の人々はどうやって立ち向かっていけばいいのだろうか。その取り組みを、人々の営みをそしてそれぞれの選択を見つめてゆく。


  

<解説>
青森県下北半島の付け根にある六ヶ所村。ここに使用済み核燃料再処理工場が建てられ、2007年には本格稼働の予定だ。日本はプルトニウムを燃料とする新たな原子力時代に入っていこうとしている。着々と前進している国家事業のはざまで、選択を迫られた人々の生き様が私たち1人1人に問いかけるものとは。
 監督は、前作『ヒバクシャー世界の終わりに』で文化庁映画賞文化記録映画優秀賞等数々の賞を受賞し、
一躍注目を浴びた鎌仲ひとみ。イラク・アメリカ・日本と世界中の“ヒバクシャ”たちの声を聞く旅を続けてきた鎌仲が最後にたどりついたのは六ヶ所村。2年に渡る取材期間を経て、これまであまり報道されてこなかった巨大な原子力産業とそこで生きる人々の思いを伝えていく。
プロデューサーは、『SAWADA』『ヒバクシャー世界の終わりに』を手がけてきた小泉修吉。音楽は、津軽三味線奏者・吉田兄弟の弟、吉田健一公認・監修の津軽三味線ユニット「倭(やまと)」。メンバーの3人は、数々の津軽三味線大会の受賞歴を持ち、それぞれが国内外でのコンサート、テレビ、ラジオでも活躍中である。
<監督の言葉>
くらしの根っこ、そこに核がある使用済み核燃料再処理工場六ヶ所村には核燃料サイクル基地がある。その中心は使用済み核燃料再処理工場だ。世界で最も新しいプルトニウム製造工場となる。ここが稼動すれば日本は新たな原子力時代に入ってゆく。今、エネルギーをいったいどうするのか、私たちは岐路に立ち、選択を迫られている。

私はイラクでがんや白血病になった子供たちと出会った。湾岸戦争で劣化ウラン弾が使われてから、がんの発症率が上がり続けている。しかし、病気と劣化ウラン弾との関係は未だ医学的に因果関係が証明されていない。子供たちが病気になり続け、死に続けている現場から前作、『ヒバクシャー世界の終わりに』は始まった。身体の中に放射性物質を取り込んだ現代のヒバクシャに出会う旅の終着点は私たちの足元、六ヶ所村だった。劣化ウラン弾は原子力産業から出てくる廃棄物から作られている。核の平和利用の副産物なのだ。

全国から核廃棄物が集まってくる六ヶ所に生きるということは、くらしの根っこに核があることを日々つきつけられながら生きることに他ならない。電気エネルギーを使う日本人全ての難題に、地元の人々は向き合って生きている。その様々な生き方とくらしを見つめた。日本の原子力政策は揺ぎなく、産業は巨大だ。今でも夢のエネルギーとして原子力は位置づけられている。そのような原子力とどのように向き合うのか、それは一人一人がどう生きるのかを問われることに等しい。自分自身の選択を生きる人々の日常。そこから私たちの未来が立ち上がってくる。

監督 鎌仲ひとみ
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