ツヒノスミカ


10数年前にじいちゃんを亡くし、その後もひとりで住んでいたばあちゃんが、突然寂しいと言った・・・


2006年/16ミリ/カラー/80分


毎朝、2枚のパンと納豆、それにリンゴを絞ったジュース。
何十年も淡々と続けられた、変わらない暮らし。
その家が取り壊される。
息子夫婦との同居という、ばあちゃんにとって新しい生活を始めるために。
<スタッフ>
監督 山本起也  

プロデューサー 伊勢真一 岩永正敏 米山靖

撮影 内藤雅行  
音響構成 渡辺丈彦  
音楽 谷川賢作  
ナレーション 寺島進

アルトサックス演奏 宮野裕司  
音楽録音エンジニア 植月隆
タイトル 津田輝王  

ネガ編集 辻井好子/菊池玲子/佐藤洋子
撮影応援 山田達也  
撮影助手 河戸浩一郎  
録音助手 井上久美子
オプチカル 五十嵐敬二
タイミング 金久賢一郎
ラボスーパーバイザー 豊田進
アニメ製作 和田敏克/松田和美

宣伝協力 スローラーナー  

上映協力 いせフィルム ヒポコミュニケーションズ
応援
  守内尚子/茂木敏子/相原余至子
  石井かほり/鈴木興子
上映デスク 東志津

特別協力 伊藤俊也

現像 東京現像所  
テレシネ ソニーPCL  
リーレコ 東京テレビセンター

協力
 株)ヨコシネディーアイエー/報映産業株)/株)ピクト
 株)ツドー工房/有)三陽編集室/一隅社/TAM office
 山内登貴夫/助川満
 清源寺/宝光寺/伊河麻神社
 静岡市葵区清沢連合町内会
 静岡市葵区小島町内会
 幸和建工株)/崎山モータース/有)ちぐさ
 長島勲/小澤吉徳/谷川良英/村越雅彦


芸術文化振興基金助成事業 

クロスフィット/こたつシネマ作品
<出演>

山本マツ

山本耕三

山本美代子
山本雅也
山本剛司
山本洋子
持山多久治
持山きと
持山正子
崎山吉衛
崎山久江
持山玄太郎
杉山遼
持山勝男
静岡市葵区
 小島町内会の皆さん
開地清経
苦竹敏光
藤田浩之
倉澤舞
倉澤綾
倉澤豪
崎山佳歩
崎山奨太
長坂伊佐夫
梅村広子
新村洋子
間宮由佳子
河野ゆづき
河野彰一郎
西智香子
西大知郎
西光史郎
本田由佳理
本田未来
<ストーリー>
夏がやってきた。
ばあちゃんにとって、90回目の夏。
それは、いつもとは少し様子が異なる、特別な夏だった。

映画の主人公、山本マツ。
大正3年(1914年)生まれの90歳。
10年以上前につれあいを亡くした後もひとりで身の回りのことをこなし、毎朝自分が創業した店にバス通勤していたばあちゃんが、突然、ひとりは寂しいと言い出した。
実の妹を風呂場の事故で亡くしてからのことだ。
息子夫婦は考えたあげく、ばあちゃんが住み慣れた家を壊し、そこに同居できる新しい家を建てることにした。
早速、古い荷物の整理が始まった。
家中に山積みになったガラクタ。
それは、この家に流れていた時間の証。
「それを捨てられちゃ困る。死んでも捨てられない」と、ばあちゃんは呟く。
ひとつ物を捨てる度に、ひとつの時間が消えてゆく。
ぬぐいがたい思い、それは、家の取り壊しを決め片付けを手伝う息子の耕三にとっても同じだった。
親と子の、二人だけの時間が静かに過ぎてゆく・・・
<出演者紹介>

山本マツ
1914年(大正3年)12月21月静岡生まれ。寅年(ごうのとら)。父持山幸一、母ふくの長女(3男7女)。兄弟でも最年長。清沢尋常高等小学校卒。新村裁縫所にて和裁を、またヒシケイ洋裁所にて洋裁を習得。昭和13年山本高平と結婚、3男を授かる。昭和14年11月3日、静岡市呉服町に、小さなおしゃれの店「ちぐさ」を夫婦で開業。当時は便箋や封筒、アルバム、ブロマイドなど紙製品を中心に扱った。銀座からネックレスをたった一本仕入れてきてウィンドウの正面に飾ったのがアクセサリーの売り始め。昭和15年1月15日、開店間もない店は静岡大火で全焼。再建後も太平洋戦争とともに空襲が激しくなり、店舗は軍に接収される。昭和20年6月13日、静岡空襲により市内は焼け野原となる。終戦後生家から山の材料をもらい、夫ともにもとの場所にバラック建ての店舗住宅を自力で復興。アメリカナイズされた文化が発展するとともに、ブローチやネックレス等のアクセサリー、オルゴール、ファンシーグッズ、グリーティングカードなどが飛ぶように売れた。昭和33年には商店街の不燃化ビルが完成。91歳の現在も、長男夫婦、次男夫婦、孫に囲まれて現役として店頭で活躍している。平成4年4月4日、夫と死別。長い闘病生活の夫を献身的に看護した。以後も周囲の干渉を嫌い店に毎朝バスで通勤するなど一人で生活していたが、90歳になり実の妹を風呂場で亡くしてから少しばかり素直になり長男夫婦との同居を受け入れる。目下のところ、居眠りと昔話が日課になっているが、「ばかにお暇でござんすねぇ」「今日も10銭売れなけりゃ、鍋釜包丁総休み、箸と茶碗がかくれんぼ、飯盛りしゃもじが隠居する」と往事の高度経済成長の時代の繁盛ぶりを懐かしみながらぼやいている。ご近所の友達も一人もいなくなり退屈な毎日だが、時折訪れる昔のお客さん(おじさん、おばさんと言って女学校帰りに寄ってくれた昔のお嬢さん)と懐かしい昔話が弾むこともある。今回、何で自分が映画に映っているのかが理解できないのか、「何がなんだか、訳わかんねぇ」が口癖。

山本耕三
1939年(昭和14年)12月5日、山本高平、マツの長男として生まれる。空襲が激しく、幼稚園に行けなかった。昭和20年疎開先である両親の故郷の清沢東小学校に入学。昭和21年、父の建てたバラックが完成、街に戻る。地元の小中学校、静岡高等学校を卒業後上京。慶応義塾大学卒業後は東京都内のハンカチーフの問屋で修行。静岡に戻った後、両親からアクセサリーの店「ちぐさ」を引き継ぐ。26歳の時高木美代子と結婚、2男を授かる。店は、先頭に立って切り盛りする美代子を中心に、弟である剛司夫婦と息子の雅也の家族経営。長男起也は家業には興味を示さず東京で映像関係の仕事。楽しく歩ける街作りをテーマに、静岡市に最新超低床路面電車(LRT)を走らせることをライフワークに店そっちのけで頑張っている。また、ドングリを拾ってきてはポット苗を作り、学校などあちこちに植えに行っている。休みの日には、母マツの実家近くに建てた山小屋で野良仕事に精を出す。ホタルの里、蛙、トンボ、野鳥などに囲まれて、休耕田をビオトープに代えて理想郷にしようと張り切っている。
ビデオも趣味だが、セミのふ化やツバメの巣作りなどを撮ってはテレビ局に持ち込む、よくいるビデオマニアのおじさんと息子にばかにされている。
<解 説>
実の祖母に突然訪れた「家の取り壊し」という出来事。その中に、大切な人や物とのいずれ訪れるであろう別れの時を静かに見つめる映画『ツヒノスミカ』。処女作『ジム』で、無名の4回戦ボクサーたちの日常と青春の果てを見つめ続けた山本起也監督の新作は、ばあちゃんの家の終焉を愛おしむように見つめた、ひと夏の小さなレクイエムとなった。

今回プロデュースを務めるのは、1995年『奈緒ちゃん』、1999年『えんとこ』や新作『ありがとう』など、日本のドキュメンタリー映画の第一線で精力的に作品を発表する監督の伊勢真一、数々の伊勢作品のプロデュースを努めてきた岩永正敏、そして、伊勢作品の音響構成を担う一方、最近では2004年『花はんめ』(監督 金聖雄)ほかドキュメンタリー映画のプロデューサーとしても活躍中の米山靖。数々の名作ドキュメンタリーを世に送り出してきた面々がスクラムを組み、山本監督の長編二作目を強力にサポートする。
撮影は『ジム』でメーンカメラをつとめた内藤雅行が引き続き担当。
フィルムの持つ奥行きや深さを最大限に引き出した陰影に富む映像が実に印象的。また、音響構成として、2004年『タイマグラばあちゃん』(監督 澄川嘉彦)等のドキュメンタリーで活躍中の若手渡辺丈彦が参加。独特の音使いに支えられたラストが深い余韻を残す。
音楽は谷川賢作のオリジナル。ジャズミュージシャンとしての数々のセッションや、映画、テレビへの楽曲の提供、そして最近は父である詩人谷川俊太郎氏とのコラボレーションなど精力的な活動はとどまることを知らない。また、ナレーションは映画にテレビにCMに大活躍中の俳優寺島進。いずれも『ジム』に続いての参加となり、山本作品には欠かせない存在となっている。

撮影は2005年5月クランクイン。
山本監督の故郷静岡で、のべ70日のロケを敢行ののち、半年近い編集作業を経て2006年3月完成。監督にとって、2003年2月の『ジム』公開以来待望の新作となった。
<スタッフプロフィール>

監督 山本起也

1966年静岡市生まれ。中学生のとき映画好きの叔父の影響で映画監督という職業に憧れるようになる。中央大学在籍時にシナリオ作家協会のシナリオ講座に通うも、何のドラマも生み出せない自分に直面しひどく落ち込む。卒業後、社名に映画とつくのだから何かそれらしきことができるだろうとの理由で電通プロックス(旧電通映画社、現電通テック)に入社。企業PRや博覧会映像などの企画演出セクションに配属される。当時最初に書いたものは、子供に貯蓄を奨励する啓蒙映画の企画だった。入社1年目に日本映画界を代表する名カメラマン瀬川順一氏と出会いドキュメンタリー映画の面白さに触れたことが、その後の志向に大きな影響を与えることになる。2000年5月、およそ6年に渡って撮りだめた16ミリフィルムを形にするために退社。約半年の編集を経て2001年3月、長編ドキュメンタリー映画『ジム』を完成。2003年にシネマ下北沢ほか各地で公開される。
本作はそれに続く長編二作目。また、監督作品以外に2006年日本映画監督協会70周年記念映画『映画監督って何だ!』(監督 伊藤俊也)のプロデュースを、高橋伴明、林海象両監督とともに共同で務める。

プロデューサー 伊勢真一
1949年東京生まれ。立教大学法学部卒。野球選手に憧れた少年時代、船乗りになりかけた10代、大工に弟子入りした20代・・・を経て、映像の世界へ。本人曰く“ただ傍にいるだけがとりえのドキュメンタリスト”。父は記録映画編集者として活躍した故・伊勢長之助。
1995年、重度の障害を持つ少女の12年間を追った作品『奈緒ちゃん』で毎日映画コンクール記録映画賞グランプリほか数々の賞を受賞。
その後も1997年『ルーペ』(日本映画ペンクラブ記録映画グランプリ、キネマ旬報文化映画ベストテン第3位)、1999年『えんとこ』(日本映画ペンクラブ記録映画部門第4位)、2002年『ぴぐれっと』(キネマ旬報文化映画ベストテン第8位)、2004年『朋あり。太鼓奏者 林英哲』などを発表し、幅広くヒューマンドキュメンタリーを手がける。プロデュース作品としては本作のほかに2004年『タイマグラばあちゃん』(監督 澄川嘉彦)、2005年『ボクラの島を忘れない』(監督 多田亜佐美)などがある。

撮影 内藤雅行
1948年東京生まれ。1963年、スチールカメラマン小林健氏に入門。1965年円谷プロダクション入社、円谷英二氏に師事。
1969年、映画カメラマン瀬川順一氏の門を叩く。撮影助手となり、以後、瀬川浩氏、林田重夫氏などの助手としてドキュメンタリー映画、劇映画、コマーシャルの撮影に多数関わる。1974年、松川八洲雄監督『円空』でカメラマンとなる。1990年代には大型映像IMAXの撮影にも進出。また、2000年には、自身が10代の頃に撮りためたフィルムをベースに自主映画『ドキュメンタリーごっこ』を製作。BOX東中野で一般上映した。現在、演劇映画という新たな分野に取り組んでいる。
(その他の作品)『鉄と稲』(監督勅使河原宏)IMAX映画『ビバ・ブランカ・パロマ』(監督 藤久真彦)テレビ『DEEPPLANET チェコ編』5篇(監督/山本起也)

音響構成 渡辺丈彦
1965年東京生まれ。1987年サウンド企画D.Cに入社。木村勝英氏に師事。1996年株式会社ヒポコミュニケーションズに入社、ドキュメンタリー、企業PR、教育などさまざまな分野の映画、ビデオ作品の録音を担当、現在に至る。主な作品として、『えんとこ』『ぴぐれっと』『朋あり。太鼓奏者・林英哲』など一連の伊勢真一作品、『小笠原』『西表島』(いずれも監督 渡辺哲也)、『花はんめ』(監督 金聖雄)、「ため息の理由』(監督 井上春生)『一生のお願い』(監督 松村清秀)、テレビ『課外授業ようこそ先輩 崔洋一』『ETV特集 消えゆく子守唄の里』『ザ・ノンフィクション ちんどん夫婦春秋』『永遠の恋物語阿部定と吉蔵』など。

音楽 谷川賢作
1960年東京生まれ。ジャズピアノを弘勢憲二、佐藤允彦両氏に師事。現代詩をうたうグループDivaを結成しライブ等で活動する一方、坂田明、宮野弘紀、土井啓輔ほか多くのミュージシャンとセッションワークを重ねる。映画、テレビへの作曲も数多く、代表作に市川崑監督『四十七人の刺客』『どら平太』、市川準監督『龍馬の妻とその夫と愛人』、NHK『その時歴史が動いた』等がある。2001年ハーモニカの続木力と『バリヤーソ』(ポルトガル語で道化師の意)を結成。年間40本前後のライブを全国各地で行う。2005年イタリア、ポルデノーネサイレント映画祭に自身のグループが招聘。
2006年ピアニスト舘野泉に小組曲『スケッチ・オブ・ジャズ』を献呈。
また、びわ湖ホール・音楽の物語6『雷の落ちない村』の音楽監督をつとめる。

アルトサックス 宮野裕司
1948年岡山市生まれ。中学校のブラスバンドでサキソフォーンを始め、大学在学中より演奏活動を開始。金丸正城(Vo.)、中村善郎(Vo. G.)、山口和与(B.)などとそれぞれのグループのCD及びライヴ活動に参加。1997年、フェビアン・レザ・パネ(Pf.)とのデュオアルバム『PLANTAR』(プランタール)をリリース。若手ボーカリスト小林桂、中牟礼貞則(G.)、谷川賢作(Pf.)、片山広明(Ts.)、林栄一(As.)など、数々のミュージシャンとの共演の他、松尾明とTake Ten、Cross Counter、小太刀のばら4、二村希一グループ、小林洋と室内バンド、等で活動中。

ナレーション 寺島進
1963年東京生まれ。1986年松田優作の初監督作品『ア・ホーマンス』で映画デビュー。その存在が映画ファンの間で注目されるようになったのは1989年『その男凶暴につき』で邂逅した北野武監督作品への出演からで、以後北野組には欠かせぬ存在となる。1995年『おかえり』(監督 篠崎誠)、2001年『空の穴』(監督 熊切和嘉)、2003年『幸福の鐘』(監督 SABU)などに次々主演する一方、2002年『美しい夏、キリシマ』(監督 黒木和雄)、2004年『誰も知らない』(監督 是枝裕和)、2004年『血と骨』(監督 崔洋一)と、その年のベストワン作品に相次いで出演、強い印象を残す。最近は『交渉人 真下正義』(監督 本広克行)での木島丈一郎役、あるいはキリンFIREのCMなど、その活躍ははお茶の間をも席巻する勢いである。