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語り 黒田福美
監督 澄田憲親
製作 ワイズプロジェクト |
プロデューサー 吉田豪(フジテレビ)
寺戸美香子
岩男浩司
企画制作 堀内雄一郎 |
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新井栄一の歌う 「清河への道」 とは −−−
朝鮮半島から日本に渡り、不遇のうちに死んだ父親の故郷「清河」を訪ねるところから始まり、それまで自らが生きてきた人生を振り返りながらこれから生きていく道を確信していく叙事詩のような歌である。全48番、45分にも及ぶ。
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新井英一
ブルースシンガー
自らをコリアンジャパニーズと呼ぶ在日2世。
「清河(チョンハー)への道」は、亡き父の故郷と 自らの半生を綴った歌で48番までつづく。
はじめて「清河」を訪れて16年。
念願だった父の祖国での講演が実現した。 |
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アボジー 新井のしぼり出すような歌声が 清河の夜空にこだました・・・
<STORY>
全身から絞り出す、太くしわがれた歌声、
スポットライトに照らされ汗まみれになってかき鳴らすギター、
野獣の遠吠えを思わせる、その歌声にふるえる空気―――
決して美しい歌声ではない、無骨な彼のブルースは、どこか優しく暖かく聞く者の魂をわしづかみにする。
新井英一 1950生まれ
在日韓国人一世の父と、日朝ハーフの母をもつ
自称「コリアン・ジャパニーズ」のブルースシンガー
九州・福岡の下町、吉塚で洗いは三人兄弟の末っ子として育った。
父は、彼が生まれてすぐ結核に冒されて入院、離ればなれに暮らしていた。
そのため、新井は父の記憶がうすい。
廃品回収業を営む母親の手ひとつで育てられた英一少年。
差別、貧困、いじめ―
15歳で家出した新井は、荒んだ放浪生活の中で父の訃報を耳にする。
しかし、「不思議と涙は出なかった」・・・・
29歳で念願の歌手デビュー。
その後、結婚して自らも父親となった新井は、おりにふれ、早くして亡くなった父親の無念さを深く感じるようになったという。
「病院に入っていたけど、家族の事は気になるし、女房の事は気になるし、自分の体は思うようにいかないし・・・そう思うと、何かもう、親父もかわいそうやなぁって・・・」
36歳のある日、新井はさまざまな葛藤と不安を胸に、父の故郷、清河行きを決断する。
新井はこの清河訪問をきっかけに、亡き父の故郷と自らの半生を綴った歌で48番までつづく「清河への道」を制作。
この歌を父の故郷、清河で歌うこと。
それが新井の悲願となった。
日本の歌が禁止されていた韓国での度重なるチャレンジ。そして挫折。
2002年5月、52歳になった新井の夢がようやく実現した。
ツアーの最終日。
夕日がゆっくりと清河の山に沈み、新井のライブが始まった。
舞台は清河にある中学校のグランド。
ステージと客席を隔てるものはない。
今、その声は海を渡り、近くて遠い亡き父の祖国、そして自らのルーツである念願の地、「清河」の山河に響き渡る。
ルーツ探しの旅から16年のことだった。
これは新井英一の悲願、初の韓国ライブの全記録である。 |
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アジアの大地が見たくって、俺はひとり旅に出た。
玄海灘を船で越え、釜山の港を前にして夜が明けるのを待っていた。
(清河への道・第1章1番) |
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