ろくでなし
(松竹 60年 88分)
脚本: 吉田喜重 撮影: 成島東一郎
音楽: 木下忠司 美術: 芳野尹孝
出演
津川雅彦 高千穂ひづる 川津祐介 山下洵一郎
青春や挫折という言葉が、かえって愚かしく感じられる、そんな当時の意識を描こうとした。映画だからといって容認されている、死んだ言葉を拒否する。たとえ「映画らしさ」から逸脱しても、徹底して私自身の言葉で、初めての作品を作りたかったのである。 |
血は渇いてる
(松竹 60年 87分)
脚本: 吉田喜重 撮影: 成島東一郎
音楽: 林光 美術: 佐藤公信
出演
佐田啓二 三上真一郎 芳村真理 岩崎加根子
安易に氾濫するヒューマニズムを逆手に、その欺瞞を描いた。主人公は自分の死を売り物に、マスコミの脚光を浴びるが、やがて本当の死に追い込まれる。ラストで主人公の巨大な顔写真が崩れ落ちる。その静止したドキュメント写真が、映画自身を見返している。
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甘い夜の果て
(松竹 61年 85分)
脚本
吉田喜重 前田陽一
撮影: 成島東一郎
音楽: 林光
美術: 芳野尹孝
出演
津川雅彦 嵯峨三智子
山上輝世 杉田弘子
スタンダールの『赤と黒』がモチーフである。自由のために死を選べるほどのロマネスクを、もはや誰も生きることはできない。物語を絵で描いたように暴走することによって、ありふれたカタルシスに到達するのではなく、映画が物語から解放されることを願った。
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秋津温泉
(松竹 62年 113分)
企画: 岡田茉莉子 原作: 藤原審爾
脚本: 吉田喜重 撮影: 成島東一郎
音楽: 林光 美術: 浜田辰雄
出演
岡田茉莉子 長門裕之 中村雅子 日高澄子
女が男に生きる意味を問いかけたとき、男には何も答える言葉がない。この無残なすれ違い、時間の断絶によって高まる情念を描く。これが単なるメロドラマを越えたものになっているとすれば、この作品を企画した岡田茉莉子の情熱が私を助けてくれたからである。 |
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嵐を呼ぶ十八人
(松竹 63年 108分)
脚本: 吉田喜重
撮影: 成島東一郎
音楽: 林光
美術: 大角純一
出演
早川保 香山美子
根岸明美 芦屋雁之助
労働者と呼ばれる以前の、ただ労働を提供する「もの」にすぎない社外工。彼等がいま、そこに不条理なものとして存在し、それを許している私たちがいる。なんの説明もなく、その事実だけを描ければよいと考えた。当時の社会派映画に対する、批評的試みである。
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日本脱出
(松竹 64年 96分)
脚本: 吉田喜重
撮影: 成島東一郎
音楽: 武満徹 八木正生
美術: 芳野尹孝
出演
鈴木やすし 桑野みゆき
待田京介
アクションだけを純粋に追求することによって、思わぬ異次元へと飛躍する。私はそれを「アクション・メタフィジック」と名づけた。苛酷な肉体の動きとリズムとが、人間の内面を空洞化する。それと同様にラストの東京オリンピックもまた、日本を空洞化する。 |
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水で書かれた物語
(中日映画社 65年 122分)
原作: 石坂洋次郎
脚本: 石堂淑朗 高良留美子 吉田喜重
撮影: 鈴木達夫 音楽: 一柳慧
美術: 黒澤治安
出演
岡田茉莉子 浅丘ルリ子 入川保則 山形勲
母子相姦をモチーフにしていながら、母その人ではなく、母的なものとの相姦関係が問われている。父的な支配に逆らうようにして、母と子とを結ぶ、抑圧された内密の絆。その危うさこそが、父、国家、天皇という関係の、いかがわしさを見返すための母胎となる。 |
女のみづうみ
(現代映画社 66年 98分)
原作: 川端康成
脚本
石堂淑朗
大野靖子
吉田喜重
撮影: 鈴木達夫
音楽: 池野成
美術: 平田逸郎
出演
岡田茉莉子 露口茂 芦田伸介 夏圭子
ハンドバックを喪った女が、未知の男よりの接触におびえるだけの話であるが、そこに奇妙な共犯関係を読み取ろうとした。男と女、あるいは加害者と被害者のあいだに潜む、共有の反社会性をかぎりなく増幅させ、その行き着く果てに垣間見えるものに期待した。 |
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情炎
(現代映画社 67年 97分)
原作: 立原正秋
脚本: 吉田喜重
撮影: 金子満司
音楽: 池野成
美術: 梅田千代夫
出演
岡田茉莉子 木村功
高橋悦史 しめぎしがこ
女性には、男性から注がれる欲望に対し、見返す自由がある。ひとりの女がその自由さを、研ぎ澄まされた武器に変えて挑む。それは社会の底辺にいる男と触れ合うことであった。しかし、やがて訪れる虚しさを前にたじろぐ女の、その瞬間の表情を捉えようとした。 |
樹氷のよろめき
(現代映画社 68年 98分)
脚本: 石堂淑朗 吉田喜重
撮影: 奥村祐治
音楽: 池野成
美術: 佐藤公信
出演
岡田茉莉子 木村功 蜷川幸雄 赤座美代子
ひとりの女と二人の男が、厳冬の北海道を逃避行するうちに、思わぬ破局を迎える。人間が人間を許すことができない、その寛容のなさが、些細な言葉、表情、動きのなかにもあらわになる。こうした断絶こそが、現代の内側に横たわる地獄の意味ではないだろうか。 |
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さらば夏の光 ●ニュープリント
(現代映画社 68年 97分)
脚本
山田正弘
長谷川龍生
吉田喜重
撮影: 奥村祐治
音楽: 一柳慧
出演
岡田茉莉子 横内正
エレーヌ・スービィエール
ポール・ボーヴェ
ヨーロッパ七カ国で撮られたロードムービーである。現在では消滅した教会の原型を探す建築家と、日本を去って異郷で暮らす女が、偶然に出会い、ともに旅をする。男の見果てぬ夢と、女の語り得ない過去が遭遇するとき、二人の前に忘れ去れた地名、長崎が現れる。 |
エロス+虐殺 ●ニュープリント
(現代映画社 69年 168分)
脚本: 山田正弘 吉田喜重
撮影: 長谷川元吉
音楽: 一柳慧
美術: 石井強司
出演
細川俊之 岡田茉莉子 楠侑子
高橋悦史 伊井利子 原田大二郎
父、国家、天皇制という男性的な権力構造と対峙する、大杉栄のアナーキズムと自由恋愛論。それを超えようとして、伊藤野枝が問いかける「母の母の母」のイメージ。男の論理と女の情念との葛藤、大正と現在との時間のせめぎあい、それが虐殺の一瞬へと収斂する。 |
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煉獄エロイカ
(現代映画社・ATG 70年 117分)
脚本
山田正弘
吉田喜重
撮影: 長谷川元吉
音楽: 一柳慧
美術: 山口修
出演
岡田茉莉子 鵜田貝造
木村菜穂 牧田吉明
政治的なエロイカ(英雄)を目指しながら、宙吊りとなった英雄たちの煉獄状態。革命運動もまた、不毛な男性的な権力構造であり、それは時間と空間をも歪める。こうした不毛性に対しては、アクロバティックに軽々と時空を超えて、道化芝居的に振る舞うしかない。 |
告白的女優論
(現代映画社 71年 122分)
脚本: 吉田喜重 山田正弘
撮影: 長谷川元吉
音楽: 一柳慧
美術: 朝倉摂
出演
浅丘ルリ子 有馬稲子 岡田茉莉子
三國連太郎 木村功 月丘夢路
これは当時の映画界への、私の別離の歌である。映画スターとしての女優の存在、映画会社が作り出した最大の虚構が、テレビの出現によって消える。そう思い込むことは、欺瞞でしかない。観客のかぎりない想像力こそが、女優を生み出すという、映画賛歌でもある。 |
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戒厳令
(現代映画社・ATG 73年 110分)
脚本: 別役実
撮影: 長谷川元吉
音楽: 一柳慧
美術: 内藤昭
出演
三國連太郎 松村康世 三宅康夫 倉野章子
二・二六事件と北一輝を扱った作品である。権力という視点に立てば、右翼と左翼、社会主義革命と天皇制は、ともに通底し合っており、パラレルなものでしかない。この作品と『エロス+虐殺』『煉獄エロイカ』の三作品により、私のなかの同時代史を完成させた。 |
人間の約束 ●ニュープリント
(西武セゾングループ・キネマ東京・テレビ朝日 86年 124分)
原作: 佐江衆一
脚本
吉田喜重
宮内婦貴子
撮影: 山崎善弘
音楽: 細野晴臣
美術: 菊川芳江
出演
三國連太郎 村瀬幸子 河原崎長一郎 若山富三郎
高齢化社会に生きる老人の安楽死をモチーフにしたが、安楽死の是非を問おうとしたものではない。水のイメージがしばしば現われるのも、みずからの死すら知ることができない人間、この小さな無知なる存在を、この変幻する水のなかに映し出そうとしたのである。 |
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嵐が丘
(西友・西武セゾングルーブ・MEDIACTUEL 88年 143分)
原作: エミリー・ブロンテ
脚本: 吉田喜重
撮影: 林淳一郎
音楽: 武満徹
美術: 村木与四郎
出演
松田優作 田中裕子 石田えり 名高達郎
高部知子 古尾谷雅人 三國連太郎
この作品の映画化は、長年の夢だった。G・バタイユの「エミリー・ブロンテ論」に触発され、舞台を中世の日本に置き換え、時代劇としたのだが、単なる翻案ではない。日常的と思われがちな現代を、非日常化すること。このとき、無垢なる「いま」があらわになる。 |
鏡の女たち (グルーヴコーポレーション・現代映画社・ルートピクチャーズ・グルーヴキネマ東京 03年 129分)
脚本: 吉田喜重
撮影: 中堀正夫
音楽: 原田敬子
美術: 部谷京子
出演
岡田茉莉子 田中好子 一色紗英
室田日出男 山本未来
原爆をテーマに三世代の女性が、みずからのアイデンティティを問いかける。それに誰も答えることができないのは、それこそが原爆の理不尽さにほかならない。いかに映画のなかで語っても、語り尽くせない謎が残るのも、原爆が終わりなき対話であるからである。 |
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炎と女 ●ニュープリント
(現代映画社 67年 103分)
脚本:山田正弘 吉田喜重
撮影:奥村祐治
音楽:松村禎三
美術:佐藤公信
出演:岡田茉莉子 木村功 小川真由美 日下武史
人工授精をモチーフにしたSF映画のような作品である。人間を実体でなく、関係概念で捉えることにより、私たちのもっとも根源にあると思われる性が、にわかに欠落し浮上する。そのとき停滞する日常を乗り越える、何かが見つからないかという問いが発端だった。
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BIG−1物語 王貞治
(読売映画社・読売巨人軍 77年 86分)
王貞治選手がホームランの世界新記録を達成した瞬間を、おびただしい人が目撃したはずである。しかしここに到るまでの、彼自身の苦難の歴史を思えば、あの756号のホームランを見る権利は、誰にもなかっただろう。あれは見てはならない、幻のホームランであった。
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「物語」としての記録映画
文・吉田喜重
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わたし自身には劇映画と記録映画とを、
別けへだてしようとする気持ちはあまりない。
カメラのレンズをとおして被写体を見るかぎり、
すべては否応なくフィクション化してしまうように思える。
レンズの向こうとこちら、この隔たりは限りないものがあり、
それを越えてなにかを表現しようとするとき、
わたし自身すでに「物語」の領域にいることに気づく。
現実はたしかに眼の前にありながら、
それは一瞬、一瞬と移りゆく脈略のない、
無秩序な配列にすぎない。
それに筋道を立て、なにかを表現しようとすれば、
おのずから物語らざるをえない。
人生という物語、戦争という物語、死という物語、歴史という物語
――そのかぎりでは、フィクションとドキュメントのあいだに、別けへだてはない。 |
◆特別上映 ラインナップ◆
『美の美』シリーズ第一期(第1回)
1974〜77/各24分/DVD上映/日経映像
・「幻視の画家ボッシュT 異端の北方ルネッサンス」
・「幻視の画家ボッシュU 地獄への下降」
・「幻視の画家ボッシュV 千年王国への夢」
『エロス+虐殺』<ロングバージョン>
現代映画社/69年/216分/DVD上映
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