INTRODUCTION
同じく冤罪事件としては、1966年に発生した通称、袴田事件がある。2024年9月26日に再審の判決が出たばかり。判決後の袴田巌(87歳)の姿も映画に挿入されているのも見逃せない。
そして、今作は名物プロデューサー阿武野勝彦の東海テレビ最後の作品となった。様々な話題作を手掛けた阿武野が、自らの退職前の最後の題材に選んだのが名張事件だった。『人生フルーツ』『ヤクザと憲法』『さよならテレビ』を生んだ東海テレビドキュメンタリー劇場の第16弾。取材を引き継いできたディレクターたちの思いを結集させ、裁判の非道ぶりを叫ぶ。
2024年2月に東海テレビローカルで放送された番組を追加取材・再編集した劇場版。
PROFILE
DIRECTORS NOTE
東海テレビで名張毒ぶどう酒事件をテーマにしたドキュメンタリーは「いもうとの時間」で8作目 である。担当が私に引き継がれてからは「ふたりの死刑囚」「眠る村」に次ぐ3作目。その時々で、 テーマを決め制作を続けてきた。今回、妹の岡美代子さんへの取材に加え、もう1つ取材していたテーマがある。 それは「奥西勝さんが塀の外に出ていた4年間、何をしていたか?」。岡さんは兄が無罪で塀の外 から出ていた4年間のことを何度も語る。無実であることを社会が証明してくれた4年間…とても大切 なものだった。一方で、本編にもあるように無罪判決後の会見では、記者の当たりがちょっとキツイ。 (昔の記者の気質もあるかもしれないが…)。真犯人はやはり奥西さんではないかと疑っている節が ある。さらに、「奥西さんは二審判決の時に見知らぬ女性と裁判所に来ていた」とか「4年間は自暴 自棄でやりたい放題だった」という噂を聞いたことがある。甘いマスクの奥西さん。妬みや偏見から来る、奇妙な空気が社会を包み、逆転死刑判決にさせてしまったのではないか…そんな仮説を立てた。
真相を確かめるべく4年間を過ごした三重・四日市市を取材することに。しかし、60 年前の話。通常の事件取材とは違い、苦労も多かった。
まず、奥西さんは無罪判決後、弁護人の紹介で四日市のガソリンスタンドで働いていたというが、その場所が分からない。二審判決時の自宅住所を頼りに聞き込みを行い、ガソリンスタンドを探した。すると、自宅から徒歩 20 分ぐらいの場所にある建設会社の跡地がガソリンスタンドだと分かった。その後、自宅とガソリンスタンドの間にある住宅を1軒ずつ聞き込み。当時は車を持っている人が少な かったためか、ガソリンスタンドに立ち寄る人などいなかった。商店を当たると、知っていたであろう人の子供にたどり着くが、本人はすでにこの世を去っていた。手あたり次第、町内中を歩いて回ることとなった。
そんな中でも、ガソリンスタンドの関係者など奥西さんを見知った人を数人見つけることができた。皆、口を揃えて言うのは「おとなしくて真面目そうな人だった。生活態度が酷いなどという話は聞いたことがない」というものだった。あの狭い町内なら噂が広がっていておかしくないが...結局、嘘だったのか? 「三角関係の清算」というでっち上げられた自白が独り歩きし、奥西さんの印象を悪くしてしまったように思う。最終的には映像にはならなかったが、実際に取材してみない分からないことが多いと改めて感じた。名張毒ぶどう酒事件、40年にわたり取材し尽くしたつもりだったが、まだまだ知らないことがある。だが、こうした「無駄かもしれない取材」を積み上げてきたのが東海テレビドキュメンタリーだ。
2024年9月26日、私は傍聴席で袴田事件再審の無罪判決を聞いた。犯行着衣とされた5点の衣類の他に、自白調書、ズボンの共布も捏造であると認められ証拠から排除した。その後の記者会見で弁護団の1人は「当時、突然出てきた5点の衣類に対して、マスコミがひとつもおかしいと思わなかったのか。検察警察の行為に疑問を持ち、二度と起こらないよう考えてほしい」とマスコミに苦言を呈した。とにかく、昔も今も記者は立ち止まらないのだと思う。特に効率化を求められ忙しい現代においては、上手く「スルー」することも一つの能力だったりする。だが、今本当にマスコミに求められているのは反省して、立ち止まる、無駄のつみ重ねも厭わないという謙虚さなのだと思う。
COMMENT
ドキュメンタリー監督
ドラマプロデューサー/『エルピス-希望、あるいは災い-』
ジャーナリスト
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