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INTRODUCTION

1961年、三重と奈良にまたがる集落・葛尾で凄惨な事件が起こった。村の懇親会で振舞われたぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡。世にいう名張毒ぶどう酒事件である。犯人と目されたのは、奥西勝(当時35歳)。客観的証拠はなく、あるのは自白調書のみ。一審判決では無罪を勝ち取ったが、二審では一転して死刑判決が言い渡される。以降、無実を訴え続けるも、奥西は89歳で獄中死した。再審請求を引き継いだのは妹の岡美代子。弁護団を結成し、新証拠を出し続けるが、再審の扉は開かない。遂に10度目の再審請求も幕を閉じ、棄却され続けた月日はなんと半世紀。再審請求は配偶者、直系の親族及び兄弟姉妹しかできない。美代子は現在94歳。美代子がいなくなれば、事件は闇の彼方に消える。残された時間はそう長くはない。それでも兄の無罪を信じ、長生きを誓う。あまりにも長く辛い「いもうとの時間」は果たしていつまで続くのか。
1977年より名張事件を取材開始した東海テレビは、テレビだけでなく映画作品としても本事件を多く題材にしてきた。本作は、『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』(13)、『ふたりの死刑囚』(16)、『眠る村』(19)に続く4作目となる。事件発生以来、東海テレビが撮り続けてきた映像が惜しみなく使われている本作は、冤罪の理不尽さ、それによる当人や周りの人間の長きに渡る苦悩を炙り出す。
同じく冤罪事件としては、1966年に発生した通称、袴田事件がある。2024年9月26日に再審の判決が出たばかり。判決後の袴田巌(87歳)の姿も映画に挿入されているのも見逃せない。
そして、今作は名物プロデューサー阿武野勝彦の東海テレビ最後の作品となった。様々な話題作を手掛けた阿武野が、自らの退職前の最後の題材に選んだのが名張事件だった。『人生フルーツ』『ヤクザと憲法』『さよならテレビ』を生んだ東海テレビドキュメンタリー劇場の第16弾。取材を引き継いできたディレクターたちの思いを結集させ、裁判の非道ぶりを叫ぶ。
2024年2月に東海テレビローカルで放送された番組を追加取材・再編集した劇場版。

PROFILE

ナレーション:仲代達矢
1932年東京都生まれ。1952年に俳優座演劇研究所付属俳優養成所入所。舞台「幽霊」のオスワル役で鮮烈デビュー。「どん底」「リチャード三世」「ソルネス」などの舞台で芸術選奨文部大臣賞、毎日芸術賞、紀伊國屋演劇賞、ほか数々の賞を受賞。小林正樹監督『黒い河』(57)、『人間の条件』(59-61)、『切腹』(62)、黒澤明監督『用心棒』(61)、『影武者』(80)、『乱』(85)など日本を代表する映画作品に出演。テレビドラマでもNHK「新・平家物語」「大地の子」ほか代表作多数。1975年より後進育成のための「無名塾」を亡き妻・宮崎恭子(女優、脚本家、演出家)と主宰。近年の主な映画出演作として阪本順治監督『人類資金』(13)、中みね子監督『ゆずり葉の頃』(14)、小林政広監督『海辺のリア』(17・第38回高崎映画祭・最優秀主演男優賞)など。2007年に文化功労者、2015年に文化勲章、2016年に第39回日本アカデミー賞協会栄誉賞など受賞多数。東海テレビ作品には「毒とひまわり〜名張毒ぶどう酒事件の半世紀〜」(10/ナレーション)、『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(12/奥西勝役)、『ふたりの死刑囚』(15/ナレーション)、『眠る村』(19/ナレーション)に続き5作目の参加となる。
プロデューサー:阿武野勝彦
1959年生まれ。同志社大学文学部卒業、81年東海テレビ入社。アナウンサーを経てドキュメンタリー制作。ディレクター作品に「村と戦争」(95・放送文化基金賞)、「約束~日本一のダムが奪うもの~」(07・地方の時代映像祭グランプリ)など。プロデュース作品に「とうちゃんはエジソン」(03・ギャラクシー大賞)、「裁判長のお弁当」(07・同大賞)、「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」(08・日本民間放送連盟賞最優秀賞)など。劇場公開作は『平成ジレンマ』(10)、『死刑弁護人』(12)、『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(12)、『ホームレス理事長 退学球児再生計画』(13)、『神宮希林』(14)、『ヤクザと憲法』(15)、『人生フルーツ』(16)、『眠る村』(18)、『さよならテレビ』(19)、『チョコレートな人々』(22)、鹿児島テレビの『テレビで会えない芸人』(21)では局を越えてプロデュース。個人賞に日本記者クラブ賞(09)、芸術選奨文部科学大臣賞(12)、放送文化基金賞(16)など。東海テレビドキュメンタリー劇場として菊池寛賞(18)を受賞。東海テレビを24年に退職、現在「オフィス むらびと」代表。著書に「さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ」(21・平凡社新書)。
監督:鎌田麗香
1985年愛知県生まれ。明治大学文学部卒業、2008年東海テレビ入社。警察・司法担当記者を経て、「ふたりの死刑囚~再審、いまだ開かれず~」(15)で初のドキュメンタリー制作。趣味は俳句。名張事件について読んだ句は「天高し柵の向こうの古き墓」。「ふたりの死刑囚」で袴田巌さんを取材するうちにボクシングと将棋も趣味に。劇場公開作は『ふたりの死刑囚』(15)、『眠る村』(19)に続き3作目。2018年8月に女児を出産。現在、総合編成部に所属。

DIRECTORS NOTE

鎌田麗香(監督)

東海テレビで名張毒ぶどう酒事件をテーマにしたドキュメンタリーは「いもうとの時間」で8作目 である。担当が私に引き継がれてからは「ふたりの死刑囚」「眠る村」に次ぐ3作目。その時々で、 テーマを決め制作を続けてきた。今回、妹の岡美代子さんへの取材に加え、もう1つ取材していたテーマがある。 それは「奥西勝さんが塀の外に出ていた4年間、何をしていたか?」。岡さんは兄が無罪で塀の外 から出ていた4年間のことを何度も語る。無実であることを社会が証明してくれた4年間…とても大切 なものだった。一方で、本編にもあるように無罪判決後の会見では、記者の当たりがちょっとキツイ。 (昔の記者の気質もあるかもしれないが…)。真犯人はやはり奥西さんではないかと疑っている節が ある。さらに、「奥西さんは二審判決の時に見知らぬ女性と裁判所に来ていた」とか「4年間は自暴 自棄でやりたい放題だった」という噂を聞いたことがある。甘いマスクの奥西さん。妬みや偏見から来る、奇妙な空気が社会を包み、逆転死刑判決にさせてしまったのではないか…そんな仮説を立てた。

真相を確かめるべく4年間を過ごした三重・四日市市を取材することに。しかし、60 年前の話。通常の事件取材とは違い、苦労も多かった。
まず、奥西さんは無罪判決後、弁護人の紹介で四日市のガソリンスタンドで働いていたというが、その場所が分からない。二審判決時の自宅住所を頼りに聞き込みを行い、ガソリンスタンドを探した。すると、自宅から徒歩 20 分ぐらいの場所にある建設会社の跡地がガソリンスタンドだと分かった。その後、自宅とガソリンスタンドの間にある住宅を1軒ずつ聞き込み。当時は車を持っている人が少な かったためか、ガソリンスタンドに立ち寄る人などいなかった。商店を当たると、知っていたであろう人の子供にたどり着くが、本人はすでにこの世を去っていた。手あたり次第、町内中を歩いて回ることとなった。

そんな中でも、ガソリンスタンドの関係者など奥西さんを見知った人を数人見つけることができた。皆、口を揃えて言うのは「おとなしくて真面目そうな人だった。生活態度が酷いなどという話は聞いたことがない」というものだった。あの狭い町内なら噂が広がっていておかしくないが...結局、嘘だったのか? 「三角関係の清算」というでっち上げられた自白が独り歩きし、奥西さんの印象を悪くしてしまったように思う。最終的には映像にはならなかったが、実際に取材してみない分からないことが多いと改めて感じた。名張毒ぶどう酒事件、40年にわたり取材し尽くしたつもりだったが、まだまだ知らないことがある。だが、こうした「無駄かもしれない取材」を積み上げてきたのが東海テレビドキュメンタリーだ。

2024年9月26日、私は傍聴席で袴田事件再審の無罪判決を聞いた。犯行着衣とされた5点の衣類の他に、自白調書、ズボンの共布も捏造であると認められ証拠から排除した。その後の記者会見で弁護団の1人は「当時、突然出てきた5点の衣類に対して、マスコミがひとつもおかしいと思わなかったのか。検察警察の行為に疑問を持ち、二度と起こらないよう考えてほしい」とマスコミに苦言を呈した。とにかく、昔も今も記者は立ち止まらないのだと思う。特に効率化を求められ忙しい現代においては、上手く「スルー」することも一つの能力だったりする。だが、今本当にマスコミに求められているのは反省して、立ち止まる、無駄のつみ重ねも厭わないという謙虚さなのだと思う。

COMMENT

一審の無罪判決、二審の死刑、再審開始決定、その後の度重なる再審棄却…それぞれの判断を下した裁判官たちの顔と名前が、映画に刻印される。もちろん意図的に、そして執拗に。そこに、長年にわたりバトンをつなぎ取材を続けてきた東海テレビスタッフの、「記録として後世に残す」という強烈な意志を見た。
大島新
ドキュメンタリー監督
「名張毒ぶどう酒事件」でスポットライトが当て続けられたのは、間違いなく奥西勝さんだろう。この映画で、これまで奥西さんの背景だった妹・岡美代子さんの輪郭がはっきりと見え、加害者とされた人の家族にとってこの事件がどういうものだったのか、私自身初めて知ったように思う。
佐野亜裕美
ドラマプロデューサー/『エルピス-希望、あるいは災い-』
人の命は無限ではない。残された時間は、どれほどだろうか。司法は、まるで“その時”が来るのを待っているかのようだ。
江川紹子
ジャーナリスト