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<スタッフ>
監督・撮影・編集・ナレーション:田代陽子
録音・編集:岸本祐典
撮影:一坪悠介
整音:久保田幸雄
音楽:新得バンド |
プロデューサー:藤本幸久
英語字幕:山之内悦子
製作:森の映画社
宣伝(東京):太秦
録音スタジオ:Cinema Sound Works株式会社
協力:『空想の森』応援団 |
撮影協力 : 小寺卓矢、大塚伸之、山口嘉宏、松根広隆、吉川しのぶ、大谷崇、長井泰憲、宮本博史、箕浦伸雄、横川清司、橋本孝幸、宮崎利春、宮嶋望、宮嶋京子、西村堅一、西村マサ子、小川進、小川文子、相原信洋、ギリヤーク尼ヶ崎、あがた森魚、N’DANA、こなひき小屋、池田誠、大越清一、大越いく代
NPO法人共働学舎 新得共働学舎、北広牧場、トイピルカ北帯広ユースホステル、有限会社
福田商店、TREE OF LIFE、FLOWMOTION、豊之進劇場、SHINTOKU空想の森映画祭実行委員会
芸術文化振興基金助成作品 |
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<出演>
山田聡美、山田あかり、山田憲一、宮下喜夫、宮下文代、
新得共働学舎の人たち、西村有里、西村嘉洋、加藤佳子、山田圭介、定岡美和 |


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<ストーリー>
7年の月日の中で、私たち撮影隊が被写体の人たちと向き合い、試行錯誤し、映画にすくいとったものは、土の上で働く人の姿。子どもと接する親の姿。日々の食卓での家族の姿。農場で大勢の人たちが共に暮らす姿。農場の動物、野菜。一年に一度のお祭りに集う人たちの姿。
日々の何でもない日常が妙に愛おしく、夢中で撮影してすくいとった新得で暮らす人たちの物語です。
映画をつくることで、つくり手の私たちと被写体の人たちが、共有した小さなドラマがこの映画にはちりばめられています。
始まりは空想の森映画祭との出会いでした。
そして、ずいぶん長い時間がかかったけれど、
一本の映画が、北海道新得町から生まれました。
1996年、北海道新得町新内の廃校になった小学校で、一回目の新得空想の森映画祭が開催されました。赤い屋根の木造の小さな校舎が会場で、校庭にはどーんと大きな柏の木が立っていました。
ここで私は、初めてドキュメンタリー映画を見ました。客席の後ろで、ガラガラと映写機がまわり、一筋の光がスクリーンに向かっていました。そこで見た一本が、『阿賀に生きる』(佐藤真監督)というドキュメンタリー映画でした。その面白さは衝撃でした。ドキュメンタリー映画に対する私の既成概念が変わりました。
上映後に、この作品のキャメラマンの小林茂さんが、そのフィルムを私に触らせてくれました。窓にかざしてみると、今見た画が確かにそこにありました。
新得を拠点にドキュメンタリー映画をつくっていこうとする藤本幸久監督と、地元の農家の人たちが中心となった手づくりの空想の森映画祭。大人たちは本気で楽しんでいました。私も大いに楽しみ、その時のワクワクする気持ちは、私の心にいつまでも残りました。
それは、目には見えないけれど、そこに確かにあった人の心の熱に触れたからだと、今、私は思います。ドキュメンタリー映画の作り手の熱い心に、心を解放して人と楽しむ空間に身を置き、その熱に触れたからだと。そして、映画は人と人とを結ぶものなんだと。
この映画祭をきっかけに私は、藤本監督の北海道での映画づくりのスタッフとなりました。『森と水のゆめ』(1998年)では助監督、『闇を掘る』(2001年)では編集に携わりました。同時に空想の森映画祭のスタッフになり、映画祭をつくる側になりました。
それから私は映画と関わりながら、新得で暮らす人たちと出会っていきました。
今まで私が知らなかった世界がそこにはありました。種をまき、草をとり、手間をかけ、時間をかけて丁寧に野菜を育て、収穫する。そして、自分のつくったものを食べる。その野菜の美味しさに私は驚きました。野菜がこんなに美味しいものだとは知りませんでした。そうして空の下、土の上で、自分の体を使って働き、食べ物をつくる暮らしに魅了されていきました。
そして私も、手間ひまかけてじっくりと、自分の思う映画をつくっていこうと思いました。
私はスタッフを組んで、その人たちの日々の仕事や暮らしの撮影をはじめました。不安、葛藤、孤独、喜び、嬉しさ、悔しさ、悲しみ、怒り、人の有り難さ、などなど、ありとあらゆる感情を映画づくりを通して味わいました。そして私は、映画を通して人と関わっていきたいと心から思うようになりました。
(文 ・ 空想の森 監督 田代陽子)
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<解説>
映画の舞台〜北海道上川郡新得(しんとくちょう)〜
北海道上川郡新得町。札幌から釧路方面にむかう汽車に乗ると、2時間半ほどのところです。北海道のほぼ真ん中に位置します。
「しんとく」はアイヌ語の「シットク・ナイ」が語源で、山の肩または端という意味です。
十勝平野の北西の端に位置し、北に大雪山系、西に日高山系の山々が連なっています。人口およそ7千人。町の面積は東京都の半分ほどで、その9割は森林地帯です。酪農、林業の町です。
新得空想の森映画祭
この町のはずれ、サホロ岳の麓に新内(にいない)という地区があります。林業が栄えていた頃は、人も沢山住んでいましたが、今は3世帯がこの地区に暮らしています。みんな本州から移住してきた人たちです。
サホロ川のほとりに、小さな小学校があります。校庭には樹齢百年以上の柏の木がどっしりと立っています。1974年に廃校になった新内小学校です。町が音楽ホールとして改装し、新内ホールという名前になり、時々クラッシックコンサートなどが開催されています。
今から15年程前、北海道新得町を拠点に映画をつくっていこうとドキュメンタリー映画監督の藤本幸久さんが、新内に移住してきました。そして1996年春、この地区で農業を営む宮下喜夫さんや芳賀耕一さんたちといっしょに、この新内ホールで、新得空想の森映画祭という映画祭を開催しました。
それから毎年、ここで映画祭を開催していています。年によって規模や内容は違いますが、映画の上映はもちろん、チーズづくり、ダンス、アニメーションのワークショップ、音楽ライブ、地元の食材を活かした料理など、お客さん、スタッフにとっても、一年に一度の楽しみになっています。
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<プロフィール>
田代陽子
1967年、東京生まれ。東洋大学法学部中退。
ワーキングホリデー制度でカナダに暮らす。帰国後、北海道帯広に移り住む。1996年、北海道を拠点としてドキュメンタリー映画を製作する藤本幸久監督が立ち上げたSHINTOKU空想の森映画祭に出会う。その後、藤本監督の映画製作のスタッフになる。『森と水のゆめ』(1998年)では助監督、『闇を掘る』(2001年)では編集に携わる。同時に映画祭の運営スタッフにもなる。2002年、初監督作品『空想の森』を16ミリフィルムで撮影を始める。資金や人材に行き詰まり、2年程撮影を中断。2005年、スタッフを組み直し、ビデオに切り替えて撮影を再開する。2008年、本作を完成。
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