山中常盤(やまなかときわ)
牛若丸と常盤御前 母と子の物語

カラー/35o 16o/1時間40分/製作:自由工房


芸術文化振興基金助成事業

協力  MOA美術館   安岡章太郎   辻惟雄


製作 工藤充
演出 羽田澄子

撮影 若林洋光 宗田喜久松
照明 中元文孝
録音 滝澤修

ヘアメイク 高橋功亘
原版編集 加納宗子


デザイン 朝倉摂
ピアノ 高橋アキ
(サティ・ピアノ音楽全集 東芝EMI)
ナレーション 喜多道枝
出演 片岡京子

作曲・三味線 鶴澤清治
作調・小鼓・打物 仙波清彦

浄瑠璃 豊竹呂勢大夫
三味線 鶴澤清二郎
胡弓 鶴澤清志郎
太鼓・打物 望月圭 山田貴之
笛 福原寛

この作品の浄瑠璃を作曲された鶴澤清治氏は、このたび、平成15年度日本芸術院賞の恩賜賞を受賞されました。
《絵巻「山中常盤」のあらすじ》

源氏の御曹司牛若丸は、15歳の春のころ、奢る平家を討伐せんと鞍馬寺を抜け出し東への旅に出る。そして、栄華を極める奥州、平泉の藤原秀衡の館へと迎え入れられた。
一方、京の都にいる牛若丸の母、常盤御前は、我が子を見失い悲しみに沈んでいた。牛若丸との再会を願い神仏にお参りを重ねるも何の御利益もなく、嘆き暮らしていたある秋の日、平泉の牛若丸からの手紙が届く。常盤ははやる気持ちを押さえ、春を待ち、侍従1人を供として、平泉への旅にでたのだった。川を渡り、峠を越え、いくつもの宿場を過ぎ、美濃の国、山中宿までたどり着いた常盤だったが、長旅の疲れからか、牛若丸を想う心からか、重い病に臥せってしまう。そこに美しい着物に目をつけたこの宿の盗賊どもがやどに押し寄せ、常盤と侍従をみぐるみはがしてしまう。常盤は、「肌を隠す下着だけでも残すのが人の情け、さもなくば命も奪え」と叫ぶが、盗賊は常盤を刺し殺してしまう。侍従も同じ運命をたどる。
その頃、平泉にいる牛若丸は、母の常盤がくり返し夢にうつつに現れるのに胸騒ぎがし、都へ向けて旅立った。その途中、山中宿でそれとは知らずに母の常盤のお墓に遭遇した牛若丸。なぜがその場を離れがたく、その日は山中宿に泊まる。牛若丸が泊まったやどは奇しくも昨晩常盤の殺されたそのおやど。その晩、牛若丸の夢枕に常盤がたち、あだ討ちしてほしいと告げる。宿の主人からことの次第を知らされた牛若丸は、母の仇を討つ決意をする。牛若丸は、やどの女房の助力で盗賊をたばかりよせ、見事6人の盗賊を討ち取り、母の供養とした。そしてまた平泉に戻っていったのだった。
その後3年3ヶ月が過ぎたころ、立派な若武者となった義経は、十万余騎の軍勢をひきつれて平家討伐を目指し、平泉を出発した。その道中、山中の宿に立ち寄った義経は、常盤の墓にお参りし、母を偲んで涙する。そして、宿の夫婦を呼び出して、昔のお礼に領地を与えたのだった。
 映画「山中常盤」
 について

監督 羽田澄子
これは近世初期に活躍した絵師、岩佐又兵衛の作といわれる絵巻「山中常盤」(やまなかときわ)を題材にした映画です。私は大分以前から、絵巻物を映画にしてみたいと思っておりました。何故このようなことを考えたかといいますと、以前、近世初期の風俗画の映画を作ったことがあり(「風俗画−近世初期−」1967)、絵を撮ることが非常に面白いことを知り、そのときから絵巻物を撮ってみたいと思っていたのです。
「この絵巻・・」と思った絵巻が「山中常盤」でした。この絵巻は全12巻、全長150mに及ぶ極彩色の豪華なものです。これは近世初期に人形浄瑠璃として人気のあった物語といいます。常盤御前が平泉にいる牛若丸を訪ねる旅の途中「山中の宿」で盗賊に殺され、牛若丸がその仇を討つという、母と子の物語で、絵の表現は驚くほど強烈です。絵巻は古浄瑠璃の詞書とともに展開していますが、古浄瑠璃の曲はすでに絶えています。映画では文楽の鶴沢清治氏(平成15年度日本芸術院賞恩賜賞を受賞)に作曲を御願いしました。絵巻に残された詞と新たな浄瑠璃の曲が、絵巻「山中常盤」の世界を蘇らせています。
また、この絵巻の作者、岩佐又兵衛の父は、織田信長に叛旗をひるがえした伊丹有岡城の城主、荒木村重です。城は信長によって落とされ、又兵衛の母たしを含め、一族郎党600余人はことごとく処刑されたのでした。乳呑児だった又兵衛はひそかに助け出され、無事成人して、極めて個性的な絵師となったのでした。
この絵巻を見ると、斬殺された母への又兵衛の思いが込められているように思えます。私は絵巻にこめた又兵衛の想いも表現したいと思いました。               
絵巻「山中常盤」発見のエピソード

 絵巻「山中常盤」は、岩佐又兵衛(1578‐1650)の作品とされているが、この絵巻を私たちが今日、目にすることができるのは、昭和3年(1928)、長谷川巳之吉氏によって発見されたことによるといえる。

当時、第一書房の代表であった氏が、ふと立ち寄った古書店で、あるドイツ人が「2万5千ドルで買うことになった」と言われて見せられたのが、この絵巻の写真だったという。氏は絵巻の素晴らしさに驚き、何としても国外に持ち出されるのは防がねばと、家を抵当に入れ、私財を売り払って資金をつくり、この絵巻を入手したのである。この絵巻は、旧津山藩主松平家に伝わったものであったが、大正14年(1925)、某家のものとなり、それがドイツ人の手に渡って国外に出るところを、その寸前に、長谷川氏によって止められたのであった。

絵巻は翌昭和4年、京都博物館で、昭和5年には東京の三越で、全巻展示され、押すな押すなの盛況であったという。現在、絵巻「山中常盤」は熱海のMOA美術館の所蔵となっている。

この絵巻発見によって、「堀江物語」「浄瑠璃物語」「小栗物語」といった一連の絵巻作品群の存在が明らかになり、学会に幾多の論争を巻き起こしたが、現在では、岩佐又兵衛あるいはその工房作品と認められるようになっている。
日本の絵巻物 


辻 惟雄(美術史家)
西洋でも東洋でも、本(book)はもともと巻物のかたちをとっていた。本の古い形式は巻物であった。本の内容が物語である場合、読者の興味をそそるため挿絵が描かれる。挿絵入りの巻物のことを絵巻物、あるいは絵巻という。
日本の絵巻のモデルは多分中国の画巻(huajuan)に求めることができるのだが、日本では12世紀の貴族社会においてこれが非常に流行し、「信貴山縁起絵巻」「伴大納言絵巻」「鳥獣戯画」のような傑作を生んだ。これらでは、絵巻を手でたぐる(unroll)ときの画面の動きを生かして、描かれた場面の人物や群衆、動物などが、まるでアニメの画面を見るようにいきいきとした動きをみせる。場面転換の手法も変化に富んでおもしろい。日本のアニメが国際的に好評なのは、このような絵巻の表現手法の伝統が背後にあるからだという人もいる。
絵巻はその後、少数の貴族から多数の民衆の娯楽として普及するが、量産にともなって初期の絵巻のもっていた独特のおもしろさを失っていったと考えられている。実際はそうでないことを証明するのが17世紀の前半につくられた「山中常盤」である。全12巻、総延長150メートルにおよぶこの絵巻の大作は、さきにあげたような12世紀の絵巻に比較すると、卑俗で庶民的な性格が目立つ。けばけばしい(giddy)彩色や長い画面の単調な反復といった要素もクラシックな絵巻にくらべて欠点に映る。だがそれを補ってあまりあるのは、この絵巻の製作者である岩佐又兵衛の卓越した個性と描写力である。
常盤御前の主従が、牛若を訪ねて旅をする前半の場面には、当時の民衆の生活ぶりがユーモアを混ぜていきいきと描かれる。彼の非凡な才能は、この絵巻のクライマックスである、牛若の母、常盤御前が獰猛な盗賊に殺される場面の描写にもっともよく発揮されている。臨終の常盤の表情の悲壮な美しさは、日本絵画に類がない。牛若が母の仇を討つ場面の誇張されたbloodyな表現を、残虐すぎると非難するのはたやすいが、こうした血なまぐさい戦闘の光景が、当時、少し前まで現実に見られたことを考えねばならない。憎い盗賊が征伐される場面は、見る人たちにとって最高のカタルシスになったであろう。盗賊たちのぎこちない肢体の描き方は、当時の操り人形の振りにも由来すると思われる。

9月10日より 当館にてロードショー!! 

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作品紹介

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